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応暦寺の石塔

応暦寺の境内及び寺内には、様々な石造物があります。

応暦寺の石塔1

所在地:大分県豊後高田市大岩屋401
大岩屋山 應暦寺は、国東六郷満山中本寺の名刹で、天台宗に所属する。養老2年(718年)宇佐八幡神の応現といわれる仁聞菩薩自らの開創にて約1300年の歴史を刻む。本尊を千手観音とし往時は修験道場として、また済世利民の祈願霊場として栄え、25にも及ぶ末寺末坊を有していたといわれる。応暦寺境内内外の石仏、石造は量、質ともにまとまり国東半島中特殊な石造品をみることができることから石仏寺、石仏の里として知られる。

応暦寺の石塔2

鬼瓦

応暦寺の石塔4

石造灯明像

室町時代の作と云われています。
像高:42cm 太鼓の直径:19cm
二人の修行僧が太鼓の形をした円筒形の火袋を担ぎ、立ち上がろうとする瞬間を一石にまとめた見事な彫像です。

応暦寺の石塔5

二人の比丘(びく)が石太鼓を背負い、そして介添えする姿態を一石にまとめ上げたユニークな作品で、この石鼓の中央上面の穴より油壷をつるし固定し、点火する。
太鼓両面に油障子を張り、灯明として献上したものである。作者は不詳で室町期作と推定する。(現地案内より)
比丘が太鼓を背負っています。因みに比丘(びく)とは、所定の戒を受けて仏門に入った男子修行者。転じて一般に、僧のことを言います。

応暦寺の石塔6

寺宝とされている「燈明石(神前や仏前に献じる灯籠)」は、二人の力士が1人は背負い、もう一人は後ろから支える姿を表していて、とってもユーモラスです。

応暦寺の石塔9

聖徳太子石像

聖徳太子十六歳孝養の像です。

応暦寺の石塔10

室町時代初期の作で、四柱造りの屋根を持つ石室面に半肉彫りしており、頭髪は角髪(みずら)に結い、束帯を着け、左手に香炉、右手に笏を持った立像で、これを太子孝養の御影というそうです。

応暦寺の石塔7

隠切支丹五重塔

五輪塔に十字が彫り込まれています。

応暦寺の石塔8

応暦寺宝篋印塔

南北朝時代の作と云われています。

応暦寺の石塔11

応暦寺の石塔12

たくさんの石塔があります。

応暦寺の石塔3