三恵山 西浄寺
中津市耶馬渓の平田川の馬渓橋の袂にあるお寺です。大きな銀杏の木が境内にあります。
所在地:大分県中津市耶馬渓町平田1004
山門
本殿
西浄寺の扁額
扁額には、三恵山と見事な字が書かれています。太宰大貮 大内義隆と書かれていますので、大内義隆の書です。
大内義隆は、戦国時代の武将で戦国大名の一人です。大寧寺の変により、自害しました。
弘安元年(1278年)に三尾母村に創建され、三恵山楞厳寺(さんけいざん・りょうごんじ)と言っていました。永徳元年(1381年)に豊前国守護となった大内義弘が、所領地の菩提寺として禅宗に改め、寺領を寄付して大檀那となりました。大内家が滅びるまで、その関係は続き、大内義隆が揮毫した扁額が山門に残っています。
馬ヶ岳城主新田義高の子孫新田義順が出家して寺に入り、東本願寺で浄土真宗の教義を得て、慶長11年(1606年)に寺を西浄寺と改めました。後に平田村外崎に移り、西本願寺派に変わって現在に至ります。
鐘楼
梵鐘
鐘楼の彫刻
西浄寺の大銀杏
境内には大きな銀杏があり、綺麗に色づいていました。木の下には黄色の絨毯が敷き詰められたように、銀杏の葉が落ちていました。