九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

行徳家住宅

天保13年(1842年)に建てられた、鍵屋形式の家屋です。宅地面積は、約450坪、西側に山を取り入れた見事な庭園を擁しています。

行徳家1

所在地:大分県日田市夜明関町3256番地
開館時間:9:30~16:30 休館日:月曜日・金曜日・12/29~1/3

行徳家2

行徳家住宅は、曲屋形式の屋根と土間を広くとった家屋形式で、国の重要文化財に指定されています。母屋は南面して建てられ、建坪65.4坪(215.86平方メートル)。寄棟作り茅葺、正面に式台付玄関、入母屋造り、桟瓦葺。

行徳家4

内部は右手が前後に仕切られた広い土間、床上部は三室の鍵座敷と台所を喰違いに廃止、その裏に仏間と納所を突出してつけた形です。

行徳家5

行徳家6

くど

石材で造ったクド。煙が漂っています。

行徳家7

行徳家9

庭園

行徳家8

西側に山を借景とした庭園で、大きな岩や飛び石が配置されています。

行徳家10

西側に山を借景とした庭を有する450坪の敷地の中に建てられた、一部2階建て、建坪約60坪の民家である。
文化元年(1804年)・文化2年(1805年)・天保9年(1838年)の祈祷札が残り、建築様式は当時よく見られた曲屋形式と呼ばれる屋根と土間を広く取った大庄屋の造りである。
行徳家は代々医業を営む家柄で、幕末に活躍した元遂は眼科医のかたわら民政にも意を注ぎ、廣瀬家や千原家とともに夜明歌詠橋の架橋等にも尽力した。
平成3年には建物の保存修理が完成し、隣接する庭園には秋に紅葉が色づき見事な景色を見せる。(日田市文化財マップより)

行徳家11

 行徳家は、武蔵七党の一つ私市氏の出で熊谷姓を名乗り、九州に下って南朝方として働いていたが、天正中期筑前岩屋合戦で嶋津軍に敗れ、その後は福岡県竹野郡(浮羽郡)行徳村に住み行徳姓を名乗り大庄屋をつとめた。
 江戸時代中期からは久留米藩の御殿医となり代々有馬侯に仕え、元潤の代文政7年(1824年)長男元亮が長崎回米倉所が置かれ米の集散で賑わっていたこの地関村に分家し眼科医を開業した。
 元亮の子元遂は、医業にとどまらず、法橋の稱号をうけ、私財を投じて住民福祉に盡した。(行徳家住宅パンフレットより)

行徳家3

行徳家資料館

2005年3月に行徳家住宅の駐車場の一角に行徳家資料館が開設されました。行徳家が日田市に寄贈した版画や行徳家所蔵の蒔絵、陶磁器、医学資料などを展示しています。

行徳家12


大分一覧

  大分  別府・日出  国東  豊後高田  杵築
  宇佐・中津  臼杵・佐伯  日田・玖珠  竹田・大野