大分トラピスト修道院
大分トラピスト修道院は、ローマ・カトリック教会に属する修道会で、正式名称を「厳律シトー会・お告げの聖母修道院」といいます。由布岳を背に、別府湾を一望できる丘の上にあります。
所在地:大分県速見郡日出町大字南畑3350-7
教会の敷地内には、マリア像やルルドがあります。また、展示室やクッキー工場もあり、無料で見学することができます。
別府から安心院に向かう途中の道路沿いに左の写真の看板が出ていますので、そこから右折します。坂道をどんどん登っていくとそこに別府トラピスト修道院があります。アフリカンサファリに行く途中の別府霊園の少し手前です。
大分トラピスト修道会は、日本で二番目の男子修道院として、昭和55年(1980年)7月11日に設立されました。
ちなみに、日本で最初に設立された男子修道院は、北海道函館近郊の北斗市三ツ石392にあります厳律シトー会灯台の聖母大修道院です。現在、世界各国に修道士と修道女をあわせて、4500名程の会員がいらっしゃるそうです。
すべての人々の救いと平和のために「祈れ、働け」の修道生活を送っていらっしゃいます。
祈り・働け
別府湾を一望する丘の上にあるトラピスト修道院はローマ・カトリック教会に属し、『厳律シトー会・お告げの聖母修道院』が教会法上の正式名称である。シトー会は十一世紀にフランスで始められた聖ベネディクトの戒律を遵守する観想修道会で、聖ベルナルドによって目ざましい発展を遂げ、十二世紀~十三世紀には全ヨーロッパに約1800の修道院があったと言われている。十七世紀になってトラップ修道院で改革があり、「トラピスト」の名称ができた。
大分県・日出町に修道院が創立されたのは、1980年(昭和55年)7月11日、聖ベネディクトの祝日でした。七名の修道士が北海道のトラピスト修道院から派遣され、キリストの福音的勧告と聖ベネディクトの戒律のもとに、すべての人々の救いと平和のために「祈り・働け」の修道生活を送っている。
この日出町は日本に最初にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザヴィエルが上陸した地として知られr、長崎と同様、日本のキリスト教の歴史の上で重要な地です。修道士の一日は早暁から始まり、「祈り」と「労働」が調和よく配置されている。
(大分トラピスト修道院パンフレットより)
慈悲深く優しいマリア様
手入れされた花壇には、四季折々の花が咲きます。
大分トラピスト修道院は、清冽な自然に囲まれた、景色がいいところにあります。
修道院案内
別府湾に面した丘に建つ当修道院は日本で2番目の男子のトラピスト修道院として、1980年北海道上磯郡のトラピスト大修道院より創立されました。
修道士たちは、1551年 聖フランシスコ・ザビエルが到着したと伝えられる日出(ひじ)の港を眼下に眺め、大分の山々を見渡しながら、神の栄光と全ての人のために「祈れ、働け」Ora et Labora の生活を送っています。
宗教法人 厳律シトー修道会 お告げの聖母トラピスト修道院(現地案内板より)
椿
十文字原と高崎山などが見えます。
扇山が見えます。
ルルドのマリア様
大分トラピスト修道院にあります「ルルド」です。
聖母マリアのお告げで掘られた穴が泉となり、多くの人の心や病を癒したというルルドの泉を模したものです。
泉のほとりから少女がマリア様に祈りを捧げています。
1858年2月にフランスの片田舎ペレーネに住む貧しい少女ベルナデッタが郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしている時に、初めて聖母マリアが出現したといわれています。
聖母マリアはベルナデッタに「無原罪の御宿りである」と名乗ったそうです。聖母マリアがベルナデッタの前に現れたときに、「ルルドに奇跡の泉がある」と教え、ベルナデッタが聖母の教えの通りに地面を掘ると泉が湧き出し、その水を飲んだ人の病が次々と治り、心が癒されるという奇跡が起こったといわれています。
現在フランスのピレーネ山脈の麓にあるこのルルドの泉には年間数百万人の巡礼者が訪れるそうです。
大分トラピスト教会のルルドは、マリア像の足元から清水が湧き出ています。