犬飼石仏
凝灰岩の岩壁に彫られた龕の中に丸彫りに近い半肉彫りで彫り出されている、不動明王を中尊として、両脇に矜羯羅童子と制咤迦童子を従えた不動三尊が刻まれた磨崖仏です。
所在地:大分県豊後大野市犬飼町田原の渡無瀬
平安時代後期から鎌倉時代初期の作の磨崖仏です。
国指定史跡になっています。
凝灰岩の岩壁に彫られた龕の中に安置されています。
不動三尊
不動明王を中尊として、両脇に矜羯羅童子と制咤迦童子を従えた不動三尊が刻まれた磨崖仏です。
頭部、顔、袈裟、背面などに、薄っすらと朱色に彩色された跡が残っています。
不動明王像の高さは約3.8mあります。丸彫りに近い半肉彫りで彫り出されています。
不動明王は結跏趺坐し、両足の裏を見せています。
昼なお暗き岩窟にうかぶ不動明王
犬飼石仏は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて作られたと考えられている不動明王像で、弁髪、天地眼、上下牙など天台宗系の儀軌(造仏のきまり)を色濃く残しています。木彫仏に比べやや制限のある表現ではあるものの、石に彫られているものとして完成度が高く、半肉に彫りつけられた質感とあわせて貴重な仏像です。ここには仏像を守るための覆屋が架けられ、仏様を守るには最適の環境に保たれています。(現地案内板より)
9万年前、阿蘇山がおこした巨大噴火は大規模な火砕流を発生させ、この地を埋め尽くしました。その火砕流はそのまま冷えて固まり、加工しやすい岩石となったためこの地には石の文化が発達しました。ここ犬飼石仏が彫り込まれた崖も、阿蘇山の火砕流が冷えて固まったものです。崖には、火砕流が堆積する以前と以後の境がくっきりと残されています。(現地案内板より)
磨崖名号
龍傳山の文字が刻まれた岩崖が半分崩落しています。
向かって右側の岩壁には、「南無大師遍照金剛」の文字が刻まれています。
岩壁に宝篋印塔が線画で刻まれています。
阿蘇溶結凝灰岩を利用した南北朝時代の宝篋印塔や五輪塔や磨崖名号があり、凝灰岩の岩壁そのものが宗教的意味を持つ空間となっています。
岩に小さな穴が沢山彫られ、その中に小さな石塔の様な物を安置していました。
歌碑
犬飼の 山の石佛 龕(ずし)さえも ともに染めたり 淡き朱の色
この石の階段の上に犬飼石仏が鎮座されています。