沈堕の滝
雪舟が描いた「鎮田瀑図」で知られる名瀑。滝の落差を利用した石造りの水力発電所跡は近代文化遺産です。
所在地:大分県豊後大野市大野町矢田
大野川にかかる雄滝(落差20m、幅100m)と、平井川にかかる雌滝(落差18m、幅4m)の二つの滝からなる沈堕の滝が山間を流れ落ちる様は豪快です。
豊後のナイアガラ、大野のナイアガラとも呼ばれています。
ちなみに原尻の滝は東洋のナイアガラと呼ばれています。
十三条の流れをもつ名瀑
沈堕の滝は、大野川本流にある「雄滝」と大野川の支流である平井川にある「雌滝」の二つの滝によって構成されています。雄滝は幅97m、高さ17m、雌滝は幅4m、高さ18mあり、この本流と支流のぶつかりが滝を生んだと言われています。
この滝は、今から600年ほど前に活躍した「雪舟」により水墨画とっして描かれ、江戸時代の地誌「豊後国志」にも記載されています。「垂直分かれて十三条をなす」と表された滝の流れは、人の手が入ることで実に数奇な運命を辿り現在に至っています。
沈堕の滝を形成している岩石は、阿蘇山の9万年前の大噴火による火砕流によってもたらされたものです。阿蘇溶結凝灰岩と呼ばれる火砕流が冷えて固まった岩であることから、垂直方向に無数のひび割れが入っており、このような景観を生み出すことになりました。縦方向に岩が崩れることで垂直の崖を形成したのです。これは、豊後大野ジオパークにおける特徴的な景観のひとつとなっています。(現地案内板より)
ちんだの滝ふれあい公園
大野川にかかる雄滝(落差20m、幅100m)と、平井川にかかる雌滝(落差18m、幅4m)。この2滝からなる沈堕の滝が山間を流れ落ちる様は豪快で、室町時代の画家「雪舟」が描いたほどです。
春にはぼたん桜つつじ、秋には紅葉が彩る散歩道を約200m(徒歩約3分)歩くと「滝見台」があり、勢いよく流れる滝を間近に見渡すことができます。(現地案内板より)
名勝 沈堕の滝
大分県の母なる川「大野川」は、源を遠く宮崎県五ヶ所(高千穂町)に発し、熊本県阿蘇郡から大分県直入郡を経て、この大野の地に至っている。
名瀑「沈堕の滝」は、大野川本流にかかる幅100メートル、高さ20メートルの懸崖を落下する雄滝と、支流平井川にかかる幅4メートルの、高さ18メートルの雌滝の二瀑からなり、その壮大な景観は「豊後のナイアガラ」とも呼ばれている。
昔は遠く敢闘まで知られ多くの人々に絶賛され、なかでも室町時代のかの有名な「画聖」雪舟が訪れ描いたのが「鎮田瀑図」「である。雪舟が明国で会得した山水画の神髄を結集した作品といわれている。湯治の画家は寺院や邸宅の部屋に居座しながら描いたものであるが、雪舟は自然のありのままを描いており、数々の名作もこの作品を起点にされたという。
この名瀑布の膨大なエネルギーは、明治時代末期に沈堕発電所の建設により電力に変えられた。この電力は、別府大分間の電車を走らせ、家庭用電力はもとより大分県の産業開発の原動力となり、文明開化の糸口となったのである。雄滝と雌滝の間位にある西洋技術を取り入れた石造建築物がその発電所跡である。
また、この沈堕の滝には古くから歴史的史実や竜神にまつわる伝説、言い伝えも数多く残っている。豊後大野市(現地案内板より)
雌滝
発電所跡
沈堕発電所跡
この沈堕の滝では、滝の落差を利用して、発電が行われています。明治42年(1909年)、滝の上に堰を作り、下流の施設で発電をはじめました。電気は大分、別府間の路面電車に送られ、日本の近代化に役立てられました。その後、堰の高さはさらに上げられ、安定した発電に利用されましたが、一方で、水流により滝が崩落することを防ぐため落水を止め、滝の景観が損なわれてしまいました。
地域の方々はこの滝の復活を切に願っていました。ただの岩壁と化していた滝は、平成8年、ついに復活。崖がこれ以上崩落しないよう大掛かりな工事をし、さらに雪舟の描いた鎮田瀑図を参考に「垂直に分かれて十三条をなす」となるよう修景工事を行ったのです。(現地案内板より)
発電所放水口跡
杵築社と書かれた鳥居