用作公園
元岡藩の家老の別荘地の庭園を公園にしたものです。丹字池・心字池を中心に1000本以上のカエデやもみじが植えられていて、紅葉の時期は観光客で賑わいます。池の水面に移る紅葉が神秘的です。
所在地:大分県豊後大野市朝地町上尾塚3914
1000本以上あるといわれる、楓などが紅葉する時期は、特にすばらしい景観です。池に映った紅葉の美しさはまた格別です。
この公園は、用作と書いて、ゆうじゃくと読みます。私が小中学生の頃の秋の努力遠足は、ここ用作公園でした。学校からとことこと歩いて行っていました。
ここの池には「鬼笛」と呼ばれる菱の実があります。それを池に落ちないように気をつけながら、夢中になってとっていました。しかし、ある年の遠足で同級生が池に落ちてしまったことがありました。すぐに先生方が助けましたが、生徒も先生もどろんこになったのを覚えています。この池は底がすごく深いので、泥にぬかるとなかなか自力で出ることができないということを教えてもらいました。
もみじの名所 用作公園(ゆうじゃくこうえん)
「用作(ゆうじゃく」という地名は、鎌倉期に大伴能直の八男能郷が志賀姓を名乗り、隣接地背子(せご)に地頭屋敷を構え、その所有する用作田(ようさくでん)がなまって伝わったものです。 文禄三年(1594年)中川秀成が岡藩主として入府し、岡藩が統治することになりました。寛文四年(1664年)藩主中川久清より岡藩第一家老中川平右衛門に参勤交代道に当たる重要な当地を与え、別荘地としました。
中川平右衛門はこの地に書院造の屋敷を構え、全山楓(かえで)と松を植え、心字池、丹字池を造り、さらには射撃場を作り洋風訓練の場としました。 また岡城の表玄関として文人墨客の来訪も多くなり南画家「田能村竹田(たのむらちくでん)」や儒学者「頼山陽(らいさんよう)」も訪れ岡藩の御客屋としての役割も果たしました。現在は町所有として、保存と活用に努めています。 朝地町(現地案内板より)
心字池と丹字池(しんじいけとたんじいけ)
「用作」は地頭の用作田であったので湧水が多く、その一角に中川平右衛門が別邸を設けたおりに、湧水を利用した池を作りました。
上の池は草書体の心を形どった「心字池」といい円満な心を願い、下の池は真心、誠という意味を含めて「丹字池」といいます。
平右衛門は、心・丹の二池を作らせ日常修行糧にしました。昔は数本の松の巨木が池の上にさしかかり、松の緑ともみじが池面に映え素晴らしい眺めでした。惜しいかな戦時中の用材供出と、松くい虫のため姿を消してしまい、往年の面影はなくなってしまいましたが、紅葉の楓だけは今なお往時を物語っています。また、池に繁茂する菱は「鬼笛」として子供に珍重がられています。(現地案内板より)
池のほとりにたつ狛犬
狛犬阿形
ぷりっとした可愛らしい狛犬です。
狛犬吽形
首を傾げた様な、振り返った様な姿が可愛いです。