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西光寺

西光寺は浄土宗西山派の寺で、中川家一族の菩提寺のひとつです。

西光寺1

所在地:竹田市大字会々2242
竹田駅から徒歩3分位です。竹田温泉花水月の向かって右隣です。
全国でも珍しい銃眼造り付き本殿と大分県内最古の鐘楼があります。

西光寺2

珍しい銃眼つき造りの本殿

竹田市指定有形文化財(昭和四十七年四月一日)
この西光寺本殿は、銃眼のある寺として、全国的にも珍しい造りです。正面に六つ、左右に各々八つ、後方にも二つある二層の入母屋造りであり、寺院が防衛的な役割を担っていたことを伺わせる貴重な建物です。
この寺の建立は、文禄三年(1594)初代岡藩主中川秀成(ひでしげ)侯が、播州三木より移封された翌年に、中川家の菩提寺として建立されたものです。 播州三木にあった中川家菩提寺の、三木西光寺恵明和尚が、藩主秀成侯を訪ねて来たのを機会に、藩主の強い懇願により、岡藩中川家菩提寺として市内代官町に建立され、恵明和尚が初代和尚となりました。
その後、延宝七年(1679)に現地に移転されましたが、移転する以前の此の地には兵法家松坂蔵之助の住居があり、鉄砲を鋳造していた処ともいわれ、本殿に銃眼がつけられたこととも、何か関連がありそうです。
平成九年四月 歴史と文化を考える会(現地案内板より)

西光寺3

天嶽山 西光寺

所在地 竹田市大字会々2242
西光寺は浄土宗西山派の寺で、本尊は阿弥陀如来である。中川家が播磨の国三木(兵庫県)から威移封された翌年の文禄四年(1595)に初代藩主中川秀成が岡藩をおとずれた「三木西光寺」の恵明上人(めみょうしょうにん)にこの地にとどまり寺を興すように求めて建立した。
はじめは市内の代官町に建てられたが、延宝七年(1679)に現在地に移された。
市指定有形文化財 西光寺本堂 昭和四十七年四月一日指定 (現地案内板より)

西光寺15

西光寺16

本堂は重層で上層は塗込土蔵造となっており、華燈窓と銃眼状の小窓に特徴があります。安政五年(1858年)に再建されました。

西光寺6

西光寺18

西光寺17

西光寺7

西光寺山門

西光寺9

市指定有形文化財 西光寺山門
平成三年三月二十二日市指定有形文化財指定
屋根は切妻作りで桟瓦で葺かれている。脇門と脇塀を伴う禅宗様式の珍しい四脚門で、特に親柱が棟まで立ち上がり、中央間藁座が柱間いっぱいに広がっているのが特徴である。この様式は、中国などの建築に多く見られる。延宝八年(1680)に建立された。
西光寺鐘楼 附 棟札(現地案内板より)

西光寺12

西光寺11

西光寺10

西光寺8

西光寺鐘楼

この鐘楼は、二階建ての鐘つき堂である。入母屋造りの本瓦葺で、袴腰となっている。棟札により、建立年代が元禄四年(1691)とわかり、大分県内最古の鐘楼である。
市指定有形文化財西光寺梵鐘鐘楼の中に吊るされている梵鐘は、慶長十四年(1609)五月二十七日に鋳造された銘文が刻まれている。高さ102センチメートル、口径62.8センチメートルである。近隣地区で現在に残る最古の梵鐘である。平成十年三月 竹田市教育委員会(現地案内板より)

西光寺4

西南の役で殉職した藤丸警部像

西南の役で殉職した藤丸警部像は、西光寺の境内にあります。風雨にさらされていて、ちょっと淋しげです。ぱっとみると、涙が流れているように見えてしまい、藤丸警部の無念さが滲み出ているような気もします。像の作者は、昭和23年に文化勲章を受章された朝地町出身・朝倉文夫氏です。朝倉文夫氏や兄・渡辺長男氏の作品は市内各所にみることができます。

西光寺5

明治十年の西南の役で、政府軍の偵察員として活躍し殉職された臼杵市出身の大分県十等警部藤丸警部の像です。藤丸警部は、当時佐伯警察署の重岡分署長でした。
薩摩軍の大分県への侵入を竹田署や熊本の政府軍に報告し、竹田地方の薩摩軍の動きを偵察中薩摩軍につかまりました。

西光寺13

明治十年五月二十三日、政府軍が竹田に迫ったとき、下木川原で斬殺されました。川原には、その場所を示す川原石が置かれてあります。
「魂魄(こんぱく)となって空中に遣り、人民保護」と叫び、藤丸警部は三十三才の人生をとじました。その一部始終を見ていた西光寺第十九世、狐松上人は、その霊をねんごろに弔いました。以後毎年五月二十三日には、この西光寺に関係者が集まり、慰霊法要が今も行なわれています。
また、亡くなって十有余年の歳月をへて、町内有志の人々によって「平和なふるさとづくりの資に」と祝儀碑が一事稲荷社(ひとこといなりしゃ)入口側に建てられました。
西光寺本殿内には、藤丸警部の最後の場面をみておられた方々から話を聞かれた深沢画伯が、精魂こめて描きあげた殉職最後の想像画があります。 平成九年四月 歴史と文化を考える会(現地案内板より)

西光寺19

藤丸警部は、民家に隠れていたのですが、敵が近づいてきたのを悟り、 民家の方に迷惑をかけてはいけないので、自ら出て行ったと伝えられています。

西光寺14


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