願成院本堂 愛染堂
恋愛成就で有名なお寺です。国指定重要文化財の宝形造の三間堂です。
所在地:大分県竹田市竹田町235(寺町)
愛染堂は、JR豊後竹田駅から徒歩5分位です。観音寺の石段を上りつめたところです。
宝形造りの三間堂で、屋根は本瓦葺、外部様式は唐様、四面付斗供は二手先組、垂木は扇垂木にて肘木は繊麓を極む、軒下四隅に天邪鬼及び人面の木彫あり、天邪鬼はかって左甚五郎の作なりしを当時の工匠の持参して収めたるものと伝えられています。
寛永12年(1635年)に、岡藩中川二代藩主・久盛公が建立したものです。竹田市に現存する最も古い建物です。
国指定重要文化財 願成院本堂 愛染堂
昭和55年6月に県指定重要文化財となり、昭和63年12月19日には国指定重要文化財となりました。
一、創建及び沿革
寛永十二年(昭和五十五年より逆算三百四十五年前)中川第二代の藩主久盛公が、その当時、日光東照宮造営奉公の一員を拝命し、任終わって帰藩の際、飛騨の工匠を伴い耒って建築したもので、之が棟梁は、竹田番匠作右衛門と伝えられています。建立の原因は池田伊豆(一雲)の事につきご心配され、御祈願のためだと申されます。
一、構造及び形式
宝形造にて屋根は本瓦葺、外部様式は唐様、四面勾欄、付斗供は二手先組、垂木は扇垂木にて肘木は繊麓を極む、軒下四隅に天邪鬼及び人面の木彫あり、天邪鬼はかつて左甚五郎の作なりしを当時の工匠の持参して収めたるものと伝えられています。
内陳の天井は格天井、側壁凡て極彩色にて、所どころに室町時代の手法技巧の表現も床しき建物であります。
一、本尊及び其の他
愛染明王はえん髪、怒目、牙を剥き弓矢を執り忿怒形相雄揮荘厳です。
道内に弘法大師真筆の佛画、伝教大師作の佛像及び土佐光起筆と稱する屏風等があります。
昭和五十五年六月竹田市教育委員会 竹田商工会議所青年部会建之(現地案内板より)
遍照殿の鐘を叩き、愛染堂に一礼し、住所と名前を名乗り、愛染堂の周りを時計の針と反対方向に3回廻り、縁結び祈願をすると願い事がかなうと言われています。
愛染堂の軒下を飾る天邪鬼の彫刻や、人面の彫刻は一見の価値があります。この建物の構造はあちこちに匠の技が光っていますので、色々な方角から拝観しました。
愛染堂は内部の堂宇に本尊の「愛染明王」が安置されていることからか、恋愛成就の御堂として有名です。4月と11月に2日ずつ御開帳されます。愛染堂は、観音寺の後藤幸雄住職が管理されています。
恋愛成就祈願のためか、意外と若いお嬢さんにお会いすることが多いです。熱心に祈願されている姿は微笑ましいです。
偏照殿
天邪鬼
軒下四隅に天邪鬼と人面の木彫が施されています。
天邪鬼は「かつて左甚五郎の作なりしを当時の工匠の持参して収めたるもの」と伝えられています。
天邪鬼の額に何か彫られています。
愉快な表情の天の邪鬼
お茶目な顔、姿の天の邪鬼です。
こちらの天の邪鬼は、踏ん張って屋根を支えているように見えます。
仏足石
縦:62cm 横:90cm、厚さ:27cmの岩に、左右の足跡が浮彫にされています。
足跡は、左右対称の同一文様になっていて、長さ:53cm、幅:24cmあります。
足の病平癒のご利益があるそうです。
愛染堂には昭和21年に発掘した仏足石もあります。仏足石は、釈迦が入寂前に足跡を印したと伝えられる石で、仏像が造られる以前、インドでは釈迦の表徴として崇拝の対象にされていたそうです。弘法大師真筆の仏画などもあります。
うっすらと仏足がみえます。
仏足石
木彫りの人面
天の邪鬼以外にも人面の彫り物が施されていました。
愛染堂の境内や周辺にはもみじや桜の木があり、四季折々の美しさがあります。赤い花はカンナの花です。そしてこのカンナの花言葉が、「情熱」「熱い想い」「永続」だそうです。友人が教えてくれたのですが、この赤いカンナの色はブッダ(仏陀)の赤い血の色だという伝説があるそうです。不思議な気持ちになりました。
春には地元のボランティアの方々が植えてくださった菖蒲の花や桜も咲きます。
平成17年の6月26日に、市民ボランティアの方々が、約580株もの菖蒲を植えられらたそうです。初夏にはきっと綺麗な菖蒲の花が咲くでしょう。楽しみです。
愛染堂のすぐそばに、大きな桜の木がありますので、桜の咲く頃はまた優雅な景色となります。