円通閣
円通閣は、元大勝院の楼門で岡藩(竹田市)の儒学者で、唐橋君山が支那蘇州寒山寺の楼門を模して建てたものです。
所在地:竹田市竹田字八幡山1773
唐橋君山はこの楼上に於いて豊後国誌を編集し、忙中閑を得て画聖田能村竹田、儒者伊藤鏡河、角田九華と詩、画の雅会を催したそうです。尚、寛政四年九月には高山彦九郎もここに二泊したと伝えられています。
円通閣へと続く石段です。歴史の道と呼ばれる道の奥にある、この古い石段を登っていくと、そこには円通閣や愛染堂があります。ここを田能村竹田先生が何度も通ったと思うと感慨深いものがあります。この石段を上ると愛染堂です。
門の向こうに写っている「かくっ」と傾いたものは説明板です。真っ直ぐにしたかったのですが、「勝手に触ったら駄目かも」と思い、そのままにして帰ってきました。ちょっと心残りです。
円通閣(えんつうかく)(市指定有形文化財)
指定年月日 昭和四十七年四月一日
この建物は、『豊後国史(ぶんごこくし)』の編纂者(へんさんしゃ)である漢学者、唐橋世済(君山)(からはしせさい(くんざん))等の詩人・文人が集う場所として使われたようです。
寛政十年(1798)に幕府の命により行なわれた『豊後国史』の編纂には、岡藩中川公が江戸から招いた世済を中心に田能村行蔵(竹田)、伊藤文蔵(鏡河)、古田喜兵衛、甲斐般助、後藤富次らが加わり、享和三年(1803)に事業を完成させました。
平成十六年三月 竹田市教育委員会(現地案内板より)
史蹟 円通閣
円通閣は、中国楼閣建築(蘇州市の寒山寺楼門:そしゅうしのかんざんじろうもん)を模して造営されたと伝えられています。
長屋門様式に唐様の門扉を配した特異な構造をしています。内部には中央に祭壇を設け裏窓には花頭窓(かとうまど)をとり入れています。
門扉の両脇の柱には梵字(ぼんじ)による光明真言の一節が彫られています。
屋根の鬼瓦には、寛政七年(1795)の銘が刻まれていることから江戸時代中ごろの建築と推定されます。(現地案内板より)
遊屐三年停帝畿(ゆうげき さんねん ていきに とどまる)
棕櫚柱朽己無扉(しゅろ はしら くちて とびらすでになし)
客公不到唐公去(かくこう いたらず とうこう さる)
四月緑陰冷透衣(しがつ りょくいる いに れいとおる)
田能村竹田
昭和五十五年六月 竹田市教育委員会 竹田商工会議所青年部会建之(碑文より)
雲早し 洞門を入り 洞門を やがて出づべき
歴史の道 豊後の竹田 与謝野晶子