廣瀬中佐記念館
廣瀬中佐の記念館です。
所在地:大分県竹田市田町2020
日露戦争の際、旅順港閉塞作戦に従事し、撤退時に行方不明となった部下を探している際に、砲弾の直撃を受けて36歳で戦死した。廣瀬中佐の記念館です。
「戦艦 朝日」のカッター
戦艦朝日のカッターは、艦船朝日に搭載していた大型のボートです。広瀬神社には、広瀬武夫氏が初めて乗り組んだ「比叡」のマストも飾られていましたが、残念ながら、平成8年にそれまでの台風などの影響で老朽化した上部を解体したそうです。子供の頃はこの古ぼけた船の意味もわからず、左から「ヒアサ」と白い文字で書かれた名前が印象的でした。
記念館は、この2階にあります。記念館には遺品や写真、資料などが展示されています。
戦艦アサヒの絵
戦艦アサヒの旗
広瀬中佐 歌碑 の近くからの眺め
竹田の町が一望できます。赤と白の鉄塔が建っているところがNTTがあるところで、そのすぐそばに、十六羅漢さんがいらっしゃる観音寺があります。竹田の町はコンパクトな城下町ですので、散策するにはもってこいです。
文部省唱歌「廣瀬中佐」 大正元年発表
轟く砲音(つつおと) 飛来る弾丸 荒波洗う デッキの上に
闇を貫く 中佐の叫び 「杉野は何慮(いずこ) 杉野は居ずや」
船内隈なく 尋ぬる三度 呼べど答えず さがせど見えず
船は次第に 波間に沈み 敵弾いよいよ あたりに繁し
今はとボートに うつれる中佐 飛来る弾丸(たま)に 忽(たちま)ち失せて
旅順港外 恨みぞ深き 軍神廣瀬と 其の名残れど
宗教法人 廣瀬神社 日本唱歌保存愛唱会(現地碑文より)