広瀬神社
広瀬中佐(広瀬武夫)と竹田市出身の戦没者を祀っている神社です。
所在地:大分県竹田市田町
広瀬神社は、JR豊後竹田駅から徒歩で約15分です。
竹楽の時は、広瀬神社の大鳥居の付近や、階段、境内までも竹灯篭が飾られ、幻想的で美しく、見逃せないスポットになっています。
田町の通りをまっすぐ進むと突き当たりに大きな鳥居と階段が見えます。ここが広瀬神社です。こちらの田町からと上町からと裏手からと幾通りかの登り方があります。階段の途中途中で立ち止まり、城下町竹田の眺めを楽しむことができます。お車の方は、急勾配ではありますが、裏手の坂道を上られてください。かなり急勾配ですので、お車の運転にはくれぐれも気をつけてください。
岡神社の中に駐車場があります。徒歩の方は、田町の方はけっこう階段の段数も多いのですが、とにかく眺めがいいです。上町の方は階段が緩やかで段数は少ないです。行きと帰りと道順を変えられるのも楽しいと思います。
赤い鳥居をくぐり、階段を下りると車の御祓い所があります。右手には岡神社があります。岡神社の紹介は次回に続きます。
竹楽のイベントでは、この大鳥居周辺と階段も相当数の竹灯籠が並べられ、幻想的な景色になりました。竹田の町は小さな城下町ですので、是非竹楽へお出掛けの際は、 竹灯籠で映し出された城下町の幻想的な姿を堪能してください。
広瀬神社とは、日露戦争の際、旅順港閉塞作戦に従事し、撤退時に行方不明となった部下を探している際に、砲弾の直撃を受けて36歳で戦死した。広瀬武夫氏や、竹田市出身の戦没者を祭っている神社です。広瀬武夫氏は「部下をかばい、戦死した軍神」と紹介されていることがよくあります。広瀬武夫氏は、岡藩藩士であった父の、次男として竹田市で生まれました。その後、飛騨高山へ引っ越しましたので、飛騨高山の飛騨護国神社、城山公園にも銅像があります。
36歳という若さで戦死した広瀬武夫氏は、部下思いのきっと優秀で優しい方だったのでしょうね。戦争によって失われた命の重さ…。考えるところが多いです。
谷沢永一氏の「男冥利」の中には、「広瀬武夫―異国の女性たちから愛された海軍の勇士」ということで、ロシアの女性とのロマンスが紹介されています。この本は「男として生まれてきたからには、こんな人生を送ってみたい。」という作者の気持ちから選ばれた、岩崎弥太郎氏、松下幸之助氏、小林一三氏、西堀栄三郎氏など様々な方の話が載っています。「男冥利」につくようなすごい生き方をされた、大変興味深い方々ばかりです。
私が幼稚園に行く前は、広瀬神社に行くのが日課になっていました。どれだけ広瀬神社に通ったか数え切れません。子供ながらに、きれいに箒目をつけられた境内が清々しく気持ちがよく、毎朝広瀬神社に行くのが楽しみでした。小さい頃からこうしてよく歩いていたので、足腰が強くなったのかもしれません。
初詣、七五三なども広瀬神社でしていましたので、やはり生活と密着した思い出深い場所です。
広瀬神社の奥の方には、弓道場があり、夕方になると県立竹田高校の弓道部員が練習にきていました。神社で弓道、これが子供心にかっこよく感じて、よく練習を見学していました。
広瀬神社のすぐ裏手に大分県立竹田高等学校があります。この日は吹奏楽部の練習音がずっと聞こえていました。そこの陸上部の生徒さんは、この階段を10往復していました。 流石にかなりしんどうそうでした。この田町側の階段はかなり急勾配の長い石段ですので、上り下りは相当な運動量になります。
ところでここは、高台にありますので、竹田の城下町を一望することができます。子供の頃からここの眺めは大好きで、よくここから城下町の夕暮れを見ていました。
夏は、広瀬神社の街灯にカブト虫やクワガタ虫、カナブンなどがたくさん飛んできていました。夜や明け方、兄や兄の友人についていって虫取りをしたりしました。
広瀬神社は、たくさんの木々に囲まれた静かなところにあります。子供の頃から初詣や七五三はこちらに参りました。
いつも綺麗に掃除されていて、清々しい気分になります。幼稚園にあがるまでは、朝ここに来るのが日課でした。紅葉の木などがたくさんありますので、11月の紅葉の時期はまた格別の美しさです。
上町からの上り口