たけた竹灯籠「竹楽」
竹楽は、竹田市で毎年11月に行われる、竹灯篭の蝋燭の炎が晩秋の城下町を映し出す幻想的なイベントです。
大分県竹田市城下町一円で毎年11月に行われるイベントです。
観音寺の石段
竹楽(ちくらく)とは、城下町竹田市の街並みに竹灯篭を並べて、 竹灯篭の蝋燭の炎が晩秋の城下町を映し出す幻想的なイベントです。コンサートなども同時開催され、城下町・竹・光・音を楽しむことができます。
竹楽は、大分県竹田市で毎年秋に開催されています。奥豊後の幻想的で情緒たっぷりの秋を楽しむことができます。
殿町武家屋敷通り
光のトンボ
静かな城下町に竹楽の蝋燭の炎がゆらめき、 薄暗い城下町を地元の人や観光客がゆっくりと散策をしているその雰囲気は独特の雰囲気です。
広瀬神社
広瀬神社の田町側の百数十段の階段にダイナミックに並べられた竹灯籠は、ゾーン最多の1800本です。光のフルオーケストラと紹介されたこの様子はダイナミックかつ幻想的であり、荘厳な美しさに人々が酔いしれていました。
竹田市は江戸時代は7万石の岡藩であり、難攻不落の城と言われた名城「岡城」がありました。廃藩置県の際、その城は燃やされ、今は城跡しかありませんが、山々と石垣、自然の織り成す岡城址は、四季折々風情のある姿で私達を楽しませてくれます。竹楽の時は、岡城もライトアップされ、竹灯籠が並べられます。
岡城は、瀧廉太郎作曲の「荒城の月」でも有名ですのでご存知の方も多いと思います。春は桜、夏の新緑、秋は紅葉、冬は水墨画のような雪景色と、四季折々の風景を楽しむことができます。
JR豊後竹田駅では、電車の発着時間には「荒城の月」の音楽が流れます。久しぶりに電車で帰ると、この「荒城の月」の音楽が聞こえてくると涙が溢れます。竹田市出身の人にとっては、「荒城の月」という曲は特別な存在なのです。
私が子供の頃は、朝6時と昼12時、夕方6時、夜9時に「荒城の月」の音楽が時報代わりに街に流れていました。今は有線放送で、荒城の月の他、犬のおまわりさんの曲なども流れています。荒城の月は日々の暮らしに自然と浸透していました。犬のおまわりさんの作詞者でもある、童謡・童話作家の佐藤義美さんも竹田市の出身です。
広瀬神社です。紅葉した木々を竹楽の竹灯籠の灯りが映し出しています。広瀬神社の階段の前には、飲食ブースが設けられて、ビールや日本酒を飲みながら、おでんを食べ、ゆっくりと竹楽を楽しんでいらっしゃる方々が沢山いらっしゃいました。駅前の古町通りでも様々な飲食ブースがあり、つきたてのおもち、だんご、うどん、そば、ラーメン、おでん、焼き鳥、ビール、日本酒、ジュース、甘酒など様々なものが販売されています。ゆっくりと散策をし、腹ごしらえをしてまた散策するのも楽しいです。
光のラインダンス
竹楽の竹灯籠は、竹田市の里山保存対策で切り出された青竹をボランティアや関係者の方々が様々なサイズに切り分け、きちんと本数まで管理しているそうです。青竹の中には小さなガラスの器に入った蝋燭が置かれています。当日の夕方に、その蝋燭に1本1本火を灯していきます。この作業もボランティアと関係者の方々がされているのですが、観光客も点灯の作業に参加することができます。毎年募集していますので、点灯の作業から参加するとまた楽しみが倍増します。
また青年部の方が鎧兜の武者姿で古町に現れたり、武家屋敷の門には青年部の方が武士の姿で立ち、 観光客に挨拶をしていました。竹楽にふさわしいいでたちでした。駐車場もかなりあり、駐車場とJR豊後竹田駅間のシャトルバスもとっても便利でした。シャトルバスへの案内や誘導なども青年団の方がお揃いのはっぴをきて頑張っていました。竹田市の青年部の方々、観光ボランティアの方々、観光協会の方々、商店街の方々、地元の方々、関係者の方々のお陰で、今年も竹楽を楽しんで帰ることができました。ありがとうございました。
2万本の竹灯籠が竹田市の城下町を幻想的な光で包み込みました。竹楽は、城下町が竹灯篭の灯りで映し出されるだけではなく、 色々な会場で様々なイベントが行なわれています。城下町には、各会場から、琴、三味線、オカリナ、ギター、シンセサイザーなど様々な曲が響いていました。まさに、光と音の競演でした。右の写真は、瀧廉太郎記念館で行なわれていたギター演奏です。
竹楽の竹灯篭
夜になると竹灯篭の中の蝋燭に火が点けられ、明かりが灯ります。暗闇に竹灯籠の灯りがゆらゆらとゆらめく様は幻想的です。 町中でみつけた竹灯籠です。
竹田市は、古くから竹資源が豊富で、多くの竹林があります。私が小学生の頃は竹の花が咲いたのをみたことがあります。私が「竹の花」を見たのは、1970年前後(昭和40年代)でした。近くのお寺の境内で友達数人と遊んでいて、竹林に白い小さな花のようなものがあるのに気が付き、友達と一緒に竹林の中に入って行きました。竹林の竹にたくさんの小さな小さな白い花がぶら下がるように咲いていました。稲の花に似ていたような気がします。 始めてみる光景に驚き、なぜか怖くなり急いで家に帰って母に話したのを今でも覚えています。竹の花が咲くと、飢饉が起きるとか、その年は不作であるとか、竹の花が咲くのは凶事の前触れであるなどと聞き、あまりいいイメージではありませんでした。
竹の花は60年~120年に一度しか咲かないと言われています。その後、大人になり知ったことは、竹の寿命は10年前後だそうです。竹は木とは性質が違うようです。毎年春にはたけのこが地中から出てきて、他の植物とは比較にならないようなスピードで成長していきます。しかし、この120年に一度といわれる竹の花が咲くと、花が散った後、その竹は枯れてしまうそうです。特に私が小学生の時に見た竹の花は、マダケの花で、マダケは120年に一度くらいしか開花しないそうですので、もう二度と見ることはないでしょう。
竹林全体が枯れてしまえば、その再生には最低でも10年以上の月日がかかるわけで、もともとの竹林の姿に戻るにはもっともっと多くの時間を費やすのでしょう。そんなことから、竹の花には、きっとあまりよいイメージでない言い伝えや伝説があるのかもしれません。
福岡県門司港生まれの写真家でもあり、小説家でもあり、エッセイストでもあり、旅人である藤原新也氏著の「藤原悪魔 天子のまゆげ」という本の中に、「竹の花」についての記述があります。まゆげのある淋しげな犬の姿が表紙に書かれている本です。藤原新也氏は、竹の花と人間という種の寿命の滅びの前兆を結びつけて書かれている部分がありました。この本は「まゆげ犬伝説」から始まる、大変興味深い話題が豊富な本ですので、機会がありましたら読んでみてください。世間知らずの常識不足の私は、彼の本から様々なことを教えて頂きました。
竹に竹田の文字ともみじのはっぱの形の切り込みをいれて、中に蝋燭を入れています。この様な竹灯籠もいいですね。
空き缶を再利用した竹灯籠です。町のあちこちに、様々な工夫をした竹楽の灯籠が飾られています
駅前の古町から歴史の道、広瀬神社前、殿町武家屋敷通り、広瀬神社前と竹楽の灯りだけの城下町の街並みを、三味線の音色を響かせながら移動していました。まるで新内流しのようで、なんともいえない風情がありました。腰に下げたひょうたん、すげ笠、白い足袋、雰囲気が竹楽にあっていました。