史跡 岡城跡
大分県竹田市にある城跡です。滝廉太郎作の荒城の月でも有名な岡城阯は、竹田市のシンボル的存在でもあります。
所在地:大分県竹田市大字岡及び天神山
種別:平山城式 標高:海抜:325m
指定面積:73,269.95平方メートル
禄高:7万3千石
岡城阯は、海抜325mの台地に広さ100万平方メートルの広大な敷地にあった岡城の跡地です。
岡城阯は、JR豊後竹田駅から徒歩で15分~20分位かかります。駐車場もあります。
春は岡城桜まつりがあり、大名行列なども行なわれ、秋には竹楽や観月祭などもあります。
岡城は、城の全体像が牛が寝ている姿に似ていたことから、別名「臥牛城(がぎゅうじょう)」とも呼ばれています。
天下三大堅城といわれ、難攻不落の城と言われた岡城も、今は石垣のみが残っています。しかし、その石垣は苔むし、城阯からは久住山・祖母山・阿蘇山などの雄大な山並みが見えます。
春は桜が咲き、新緑の季節は緑に覆わ、秋は紅葉で彩られ、冬は水墨画のような趣があります。
「日本さくら名所100選」にも選ばれ、「岡城趾の松籟(しょうらい)」は、「日本の音風景100選」にも選ばれています。
※「松籟しょうらい)」とは、松葉が風に揺れ動く際に立てる音のことです。
「日本の音100選」には、「関門海峡の潮騒と汽笛」、「博多祇園山笠の昇き山笠」、沖縄の「エイサー」、「えびの高原の野生鹿」、「出水の鶴」、長崎市の「山王神社被爆の楠の木」なども選ばれています。
堂々たる石垣
岡城は、文治元年(1185年)に緒方三郎惟栄が、源頼朝と仲違いをしていた弟の源義経を迎えるために築城したと伝えられています。しかし義経を迎えることはできないままでした。
岡城の北側の絶壁には、三日月型に岩をくり抜き、その中に松明の灯りを灯し、 月が出ない夜も月見の宴を楽しんだという三日月岩があります。
幼少期を竹田市で過ごした瀧廉太郎氏もこんな風情のある岡城趾の姿が脳裏を離れなかったのでしょう。後に作曲した「荒城の月」は、この岡城趾をイメージして作られたと言われ、私達にとっては子供の頃から「岡城趾」と「荒城の月」はとても身近で大きな存在でした。
ここが一番岡城らしい風景です。
小学校4年生から高校3年生まで声楽をしていた私は、竹田市で行われる、「瀧廉太郎音楽祭」に毎年参加しました。荒城の月も普通の荒城の月から、「正調 荒城の月」「ワルツ 荒城の月」「組曲 荒城の月」と色々な歌い方をしていました。お陰で荒城の月は今でも3番くらいまでならしっかり覚えています
春は桜の下で花見をし、秋は観月祭に行っていました。学生の頃は幾度となく、岡城趾に遠足や散策に行ったものです。断崖絶壁のような石垣の上からバレーボールを落としてしまったり、時には弁当を落としてしまう人もいました。岡城趾の四季折々の姿は私の脳裏にもしっかり焼き付いています。
私は声楽もしていたのですが、中学生の時、教頭先生の勧めで3年間「詩吟」を習いました。その頃は声が高く13本というキーでしたが、今では11本位ではないでしょうか。詩吟の練習は大きな声を出しますので、近くのお寺の庭や裏山、岡城趾などで行ないました。私は、岡城趾での練習が特に好きでした。山々に自分の声が届くような気がして、お腹の底から気持ちよく発生するとすかーっとして気分爽快でした。
その時に岡城を題材にしたものがあり、その一節に「難攻不落の城」というくだりがありました。そこを吟じる時は、先生から「威風堂々と!朗々と!」と指導されたのを覚えています。天下三大堅城のひとつと言われた「岡城」は、岡藩の、そして竹田市の誇りなのかもしれません。