慈恩の滝
天瀬町と玖珠町の境にある、大量の滝飛沫をあげ、怒涛のごとく滝壺に落ちる滝です。
所在地:大分県日田郡天瀬町赤岩
天瀬から玖珠へ行く途中の国道210号線のすぐそばにあります。
上段が20m、下段が10m、合計の高さ30mの2段落としの名滝です。
滝は案外交通の便が悪い場所にありがちなのですが、慈恩の滝は車ですぐそばまで行くことが出来るので便利です。国道沿いに案内板が出ていますので、それを目印に行かれてください。
みずしぶきを上げて、2段落ちでドドドドド~ンと滝つぼへ落ちていきます。この滝のまわりは夏でも涼しいです。
滝の裏側へ通じる遊歩道がありますが、滝飛沫を浴びながら滝の横や裏側に行きますので飛沫で濡れていて、足元がすごく悪いので私は降りることができませんでした。裏側からは、主人が一人で撮影してきました。
上下二段になっていて、それぞれすごい水量でどど~んと落ちてきます。道路のところまで滝の水しぶきがあがってきますので、きっとマイナスイオンだらけです。
慈恩の滝は、JRの電車からも見えますので、博多発下りのゆふいんの森号では列車のスピードを落として慈恩の滝を紹介しています。
上段には朝の光が差し込み、しぶきでぬれた木々や葉っぱがキラキラと光ってすっごく綺麗でした。
横から見た慈恩の滝
裏見の滝
滝の裏側から
滝の淵を一周するのには、右回りの方が縁起が良いと言われています。
慈恩の滝は、万年山を源流とする山浦川と玖珠川が合流する場所にあります。
滝には伝説がつきものですが、ここもまた伝説があります。案内板がありましたので、下記に記載します。
慈恩の滝の由来
今からおよそ千数百年の昔、この滝壷に大蛇が住んでいた。或る年の麦の実る頃、夜中にこの大蛇が滝壷より這い出して麦畑の中でのたうちまわり農民の汗による麦を荒らしてしまいわづか一夜で近郷の麦畑はほとんど全滅に近い被害を受けその年の秋の実りの田もこの大蛇に荒らされ其の数年間、田畑を荒らされ続けた。
このため農民はホトホト困り八方手をつくし何とか大蛇を鎮めんものと、或るときは、加持祈祷に、またあるときは、滝壺に竹網を張るなどしたがその甲斐もなく大蛇に荒らされ農民は食べるものもなく困窮の果て、先祖より受けついだ田畑を捨て、家を捨てるものが続出しこの土地をはなれて行ったのである。
こんな年の・・・・夏の夕暮れどき、地域を通りかかった旅僧がこのありさまを聞き、及ばづながら経の功力により大蛇を鎮めて見ようと、その夜折から登る月光の下滝しぶきのかかるあたりに座して一心に読経を続けておりますと、やがて急に滝壺に逆渦巻が起り、波の中から凄まじい形相の大蛇が姿を現したのである。
これを見た旅僧はそのような浅ましい姿では経を聞くことは出来まい。・・「心をやわらげ、姿を変えて現われよ」と、さとした。すると大蛇は、ザブンと水中に身を沈め、しばらくして今度は頭だけ大きく胴体は筆の軸位に痩細り長さは二丈(7m)あまり見るもあわれな姿で水の上に現れた。
旅僧は大蛇に向かい法を説きながら、「何故に田畑を荒らすのか」と問いただすと、大蛇は頭を胴の方へ向けて曲げ舌の先で体中を舐め始めたので、旅僧は大蛇に近づき、よく見ると、鱗の間に全身虫が寄生しているのを発見した旅僧はこの大蛇をあわれに思い、その胴体の上を経文で撫でさすると、大蛇は目を細め旅僧のなすままに静かにして いて、病気もよくなりその後は一度も田畑を荒らすことなく稲や麦も実り農民の喜びは大変なものであった。
農民はこの旅僧のために一つの寺を建立し慈恩寺と名付け寄進した。しかし慈恩寺は戦国の争乱で大分府内の領主大友宗麟の軍により消滅したのである。
天瀬町(現地案内板より)
河原にカッパさんがいました。「てへっ」としているみたいで可愛いです。
河童さんの後ろ姿、哀愁があります。