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清渓文庫 井上準之助先生記念館

大正期から昭和期にわたって日本銀行総裁および大蔵大臣を歴任し、日本の経済発展に貢献した井上準之助先生の遺品や写真や資料などを展示しています。

清渓文庫1

所在地:大分県日田市大鶴町2299
公開期間:3/1~5/31・9/1~11/30
公開時間:10:00~17:00
元大蔵大臣の井上準之助の生家内に設けられた記念館です。直筆書簡や肉声テープや遺品など、激動の時代を物語る資料を展示しています。清渓は書家でもあった準之助の号です。

清渓文庫2

井上準之助は、大正期から昭和期にわたって日本銀行総裁および大蔵大臣を歴任し、日本の経済発展に貢献した政治家です。昭和5年浜口首相らと金解禁にこぎつけるなど、その力量は国内外共に高く評価されていましたが昭和7年2月選挙運動中に血盟団員・小沼正に暗殺され63歳の生涯を終えました。(現地案内板より)

清渓文庫3

狙撃された時に着用していた外套

清渓文庫4

井上準之助の年譜

清渓文庫5

日田の先哲 井上準之助

経世家(1869年~1932年)
 明治2年当時の日田県日田郡大肥村(現日田市大鶴町)の当家に生まれる。
 明治29年東京帝国大学(現東京大学)法科卒業後、日本銀行に入社。後に日本銀行総裁に二度就任。
 大正12年関東大震災復興の山本権兵衛内閣大蔵大臣として、人心の不安を迎え財政再建の手腕を発揮。
 昭和4年浜口内閣の大蔵大臣就任。積極的な金解禁の必要性とそれに対処する国民の覚悟を訴え、金解禁を断行、同時に財政緊縮政策を進めた。
 昭和6年第二次若槻内閣の大蔵大臣に就任。財政緊縮策を継続するも、若槻内閣は総辞職。
 昭和7年犬飼毅内閣成立。組織早々金解禁反対の立場で金輸出再禁止実施。議論し国民に是非を問いただすべく議会を解散。昭和7年2月7日その選挙演説会場で準之助は暴徒に撃たれ、62才で非命に倒れた。
 準之助は、「清渓」の号で優れた書家でもあり「深思高飛」の額を残している。まさに自分にとって、また国にとって是と信ずれば、それがどのように自分にとって不利をもたらそうとも、あくまでも遂行する新年をもった実践の人であった。
 金解禁:大正6年以来の金輸出禁止政策を解禁する政策
日田市教育委員会(現地案内板より)

清渓文庫6

井上準之助の生涯

 明治2年3月25日、当方造り酒屋二代目清とヒナの五男として日田郡中島村(現大鶴町)に生まれた。日田教英中学より、仙台第二高等学校に入学、東京帝国大学法科に学んだ。
大正期から昭和期にわたって、日本銀行総裁および大蔵大臣を3回歴任し、その間日本の経済発展に貢献し、昭和5年、濱口首相らと金解禁にこぎつけるなど、その力量は高く評価されていたが、昭和7年2月、選挙運動中血盟団員小沼正に暗殺され63歳の生涯を終えた。この間、大正15年、山本権兵衛内閣の大蔵大臣時に日本青年館三代目理事長に就任。多忙の中「昭和青年の進むべき道」に尽力した。
大正2年12月8日(横浜正金銀行取締役44歳)日本で初めて日本人の手によって、東京ゴルフクラブが創設され、日本ゴルフ界の父、井上準之助でもある。(現地案内板より)

清渓文庫7

清渓文庫8


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