日田祇園山鉾会館
約300年間以上続く日田祇園祭の山鉾6基と見送り、水引、祭具などを展示しています。
所在地:大分県日田市隈2丁目7-10
開館時間:9:00~17:00
休館日:水曜日(水曜日が祝日の場合は翌日が休館日)
日田市では、日田祇園の歴史的伝統文化の保存と祭りの振興をはかるために、日田祇園山鉾会館を建設し、昭和63年7月31日にオープンいたしました。
館内には、6基の山鉾ととラシャ地に金糸銀糸の刺繍を施した「見送り」や「水引き」などの祇園祭に関係あるものを展示しております。(現地案内板より)
祇園山鉾会館(ぎおんやまほこかいかん)
日田市では、日田祇園の歴史的伝統文化の保存と祭りの振興をはかるために、日田祇園山鉾会館を建設し、昭和63年7月31日にオープンいたしました。
館内には、6基の山鉾とラシャ地に金糸銀糸の刺繍をほどこした「見送り」や「水引き」などの祇園祭に関係あるものを展示しております。(現地案内板より)
日田祇園の曳山行事 日田市隈・竹田・豆田地区
祇園会は、悪疫鎮護(あくえきちんご)を祈願する夏越し祭(なごしまつり)である。
日田各地に祀られている祇園社のうち、隈・豆田地区では正徳四年(1714年)に現在の様な山鉾がつくられて以来盛大となり、文化・文政の頃には高さ十五メートルを超えるものも登場した。
祭礼は隈八坂神社や竹田若宮神社などで行われ、またかつては城内堤祇園でも行われていた。それぞれの神社では神輿(みこし)の巡幸があり、ふれ太鼓を先頭に武者姿の男女稚児(ちご)の通し物、武者、道具持ち、担ぎ手(かつぎて)、供の者等約六十人がこれに従いその後を各町の山鉾が巡幸する。山鉾を飾る屋形や花などはすべて手作りで、台上に乗せる人形は地元の人形師が作る。
背面を飾る見送りと周りを囲む水引きは豪華で十九世紀に製作されたものも数多く残っている。
また、山鉾の中で太鼓、三味線、笛によって吹奏される祇園囃子(ぎおんばやし)は、文化末年(1817年)頃、小山徳太郎によって創始され、その子松吉により大成されたもので、現在約四十数曲が伝承されている。
平成八年十二月二〇日 国重要無形民族文化財指定 日田市教育委員会(現地案内板より)
日田の祇園祭は毎年7月20日過ぎの土曜日・日曜日に、隈・竹田地区、豆田地区の祇園 社で行われます。
間近で見る山鉾は、豪華絢爛で大変迫力があります。
平成2年夏に復活した、高さ10メートル・重さ約4トンの平成山鉾をはじめ、山鉾が5基と飾り山鉾が1基展示されています。
山鉾は、歌舞伎や浄瑠璃の名場面などを題材に、華題(げだい)と呼ばれる題名をとった場面を作り上げます。豪華絢爛な飾りつけと、その大きさは迫力満点です。
それぞれの山鉾に特徴があり、祭りの雰囲気を味わいながら鑑賞することができます。2階では、日田祇園祭のビデオも放映されています。また、館内には祭りや日田の郷土工芸に関するものもたくさん展示されています。
日田の山鉾は、樹齢百年以上の松を輪切りにしたものを4本使用しています。四本柱に岩屋館を取り付け、人形を飾り、最上部には御幣や幟や松が飾られます。
見送り
これは、山鉾の背面を飾る「見送り」と呼ばれる垂れ幕です。高さ3メートル、幅1.5メートル程の垂れ幕です。見送りは、舶来の猩猩緋の羅紗地(らしゃじ)に金や銀を溶かした金糸や銀糸を用いて、虎、龍、鳳凰、鯉などが描かれています。動物の爪には象牙を使い、目玉にはギヤマンを使っているそうです。
こちらは江戸時代から伝わるかなり古いもののようです。現在各町に13本の見送りが残っているそうです。
水引幕
水引幕とは、山鉾を取り囲む様に飾られた横幕のことで、金糸・銀糸で刺繍されています。1基の山鉾では、見送り幕と水引幕が対で付けられています。
白々
白々と書いてパイパイと読みます。日田では、この祇園山鉾の飾りを魔除けとして玄関に飾る習慣があります。
江戸時代の日田天領の繁栄ぶりを彷彿させる華やかな祭です。
山鉾を飾る日田人形は、文楽人形です。顔や手が木製ですので、かなり重量があります。人形の頭は、代々伝えられていて、文化文政年間から引き継いでいる古いものもあります。
日田の人形師・隈町の長嶋作造氏が製作していましたが2012年に死去されたため、現在はご子息の長嶋静雄氏が中心となって人形製作を担当しています。
日田祇園は豪華絢爛で勇壮でありながら、どことなく雅な雰囲気を醸し出しています。
日田祇園祭では、法被姿の男衆が高さ6メートル~10メートルの豪華な飾りが付いた山鉾を勇壮に曳き回します。
日田祇園の由来
祇園社の祭神は、牛頭天王(素戔嗚尊)といい、悪疫鎮護の荒神様である。江戸時代は、町人が経済的実力を持つようになり町人文化の時代といわれるが、元禄文化の余波を受け、代官南条金左衛門支配の正徳4年(1714年)頃に、日田にも祇園山が造られるようになった。
山鉾に活力を与える祇園囃子も初期のうちからあったと考えられるが、現在の形になったのは、江戸時代末期、小山組初代徳太郎が代官の命によって囃子を研究し、その子松吉によって大成されてからである。
現在では、国重要無形文化財の指定を受け、7月20日過ぎの土曜日、日曜日に祇園祭が行われている。(日田祇園山鉾会館のパンフレットより)