九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

日田の先哲平野五岳

平野五岳は幕末から明治にかけて活躍した僧であり、画家です。

平野五岳1

隈町に、五岳上人像がある小さな公園のようなものがありました。ベンチなどもありますので、散策の途中でちょっと足を休めるのにもいいかもしれません。
なぜかかっぱの像がありました。ゆるっと寛いだ姿の河童に癒されます。

平野五岳2

平野五岳

平野五岳  三絶僧(1809年~1893年)
 文化六年(1809年)日田郡渡里村正念寺に生まれ、八歳の時当専念寺の養子となる。
 文政二年(1819年)咸宜園に入門、詩を廣瀬淡窓に、書を貫名海屋に、画を田能村竹田に学び、のちに「三絶僧」と称せられた。
 明治に入り初代日田県知事松方正義(後の総理大臣)の信望を得、その交わりは終生続けられた。
以後大久保利通や木戸孝允等とも交わりがあり、その画は明治天皇にも献上された。(現地案内板より)

平野五岳5

専念寺六代目住職でもありました、平野五岳は詩・書・画に優れていて、一幅の絵の中に詩と書と画を調和させることができることから「三絶僧」と呼ばれ、多くの方から慕われ、また交流がありました。
五岳上人とも呼ばれ、後に夏目漱石も訪れたそうです。西郷隆盛とも交流があったようで、五岳上人の作と思われる西郷隆盛の肖像画も平成15年8月に発見されたそうです。

平野五岳3

小さな公園ですが、興味深い碑と解説がありましたので紹介します。

平野五岳4

「詩僧死して 只凩の 里なりき」漱石
夏目漱石
当時熊本第五高等学校(現在熊本大学)に勤務していた。
漱石の年譜によると、明治32年(1899年)1月1日から奥太一郎と宇佐から耶馬渓を経て日田に入り、吉井、追分を通って帰るとある。このとき漱石はこの句を上人の霊前に捧げた。(現地案内板より)

平野五岳6

平野五岳7

五岳上人とは優秀で才能溢れる方であったのみならず、政府要職への誘いを断ったというエピソードもあり、多くの書画を残し、なんとも魅力的な方だったようです。
もしお会いすることができるのであれば、是非お会いしていろんなお話を伺いたいです。

平野五岳8

平野五岳9

ベンチや水飲み場もあります。

平野五岳10


大分一覧

  大分  別府・日出  国東  豊後高田  杵築
  宇佐・中津  臼杵・佐伯  日田・玖珠  竹田・大野