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公益財団法人 廣瀬資料館

廣瀬淡窓とその弟久兵衛の生家です。江戸時代の生活を伺うことが出来る貴重な資料が沢山展示されています。

広瀬淡窓資料館1

所在地:大分県日田市豆田町9-7
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日・但し10.11.2.3月は無休)・1/1~1/2

広瀬淡窓資料館22

廣瀬資料館は江戸時代末期の著名な儒学者・漢詩人・教育者である廣瀬淡窓(天明2年(1782年)~安政3年(1856年)の生れた家です。
日田は江戸時代には幕府の直轄地である天領として、経済的にも文化的にも繁栄しました。天領は郡代または代官が支配していましたが、日田には西国郡代が置かれ、九州全域を支配する政治の中心地でした。
淡窓の父三郎右衛門は代官所に出入りする御用達を勤め、さらに家業を継いだ弟の久兵衛は選ばれて掛屋(江戸では札差(ふださ)しという)となりました。
掛屋は代官の認可を受けて九州諸藩の御用達を勤め、天領からの税金は全てここに集まりました。その税金は一定期間日田にどどまりましたから、その間に新田開発などの公共事業を行う一方、諸大名に貸し出したりして、久兵衛の代に廣瀬家の経済的基盤は強固なものとなりました。
この資料館には廣瀬淡窓の遺品のほか、掛屋文書、諸大名からの拝領品、諸藩との交際に使用した品々、天保時代の古今雛(こきんびな)等、掛屋の生活を伝える資料を展示しています。(現地説明板より)

広瀬淡窓資料館2

1号館には、元禄、享保、天保、天明などの時代の古い雛人形や、雛飾りがたくさん展示されています。

広瀬淡窓資料館5

享保びなや明治大正のお雛様が飾られています。
天領日田のおひなまつりは毎年2月中旬~3月下旬まで開催され、豆田町には多くの観光客が訪れ、大変賑わいます。
広瀬資料館のお雛様は通年観覧することができます。

広瀬淡窓資料館3

2号館には、広瀬淡窓の掛け軸や、茶道具、茶器、羽織、文書、刀、天秤、漆の器、火打ち道具、雅楽の笙、龍笛などが展示されています。ラシャの羽織や夏物の芭蕉布なども展示されています。

広瀬淡窓資料館4

1号館を裏から出て、中庭を抜けて2号館へ行きます。

広瀬淡窓資料館8

ラシャの羽織(冬物)や芭蕉布の羽織(夏物)が展示されています。

広瀬淡窓資料館6

漆器や螺鈿細工が施されたお盆などが飾られています。

広瀬淡窓資料館9

携帯用火打道具や火打石、火打金、灯芯、灯芯皿などが展示されています。

広瀬淡窓資料館10

神棚用の器、油差しなどが展示されています。

広瀬淡窓資料館11

天保のあかり

広瀬淡窓資料館12

掛屋てんびん

天秤と分銅、後ろの額には藩札が展示されています。

広瀬淡窓資料館15

笙の笛と龍笛

広瀬淡窓資料館17

小鹿田焼の醤油入れ

小鹿田焼(おんだやき)の醤油入れやつげの櫛、天保のあかり、火打ち道具など様々なものが展示されています。小鹿田焼(おんだやき)は、国指定重要無形文化財に指定されています。
小鹿田焼は江戸時代中期、筑前の国小石原から陶工・柳瀬三植右衛門を招き、大鶴村の黒木十兵衛によって開窯された李朝系窯です。三百年以上に渡り、当時の技法を受け継いでいます。代表的な技法として、飛びかんな、刷毛目、櫛描き、打ち掛け、流し掛けなどがあります。

広瀬淡窓資料館7

拝領品の象の香炉

広瀬淡窓資料館14

廣瀬家の先哲八人

廣瀬月化(げっか):商家博多屋(廣瀬家)に生れる。江戸時代中期の俳人として著名。月化の時代明和6年(1769年)廣瀬家は、江戸幕府から初めて諸藩御用達を命ぜられる。
廣瀬桃秋(とうしゅう):月化の弟で俳人。淡窓の父。後に家業を継ぐ。
廣瀬淡窓(たんそう):儒学者・教育者。敬天思想を持ち教聖といわれる。江戸後期九州山間の日田に、全国から三千有余人の塾生が集い、師弟共に相親しみ学んだ私塾「咸宜園(かんぎえん)」を創設。明治維新後の日本教育界に歴史的多大な影響を与えた。
廣瀬秋子(ときこ):病気がちの兄淡窓の心からなる健康と体制を願うも若くして病死。淡窓より孝悌烈女の名を贈られた。
廣瀬久兵衛(きゅうべえ):経世家。淡窓の次弟。淡窓にかわり家業を継ぐとともに、西国筋郡代塩谷大四郎の信任を得て、日田小ヶ瀬井出の開鑿(かいさく)などとともに、府内藩や福岡藩等に出向き、新田開拓事業、治水、殖産工業、財政立て直しなどを行なった。
廣瀬旭荘(きょくそう):儒学者・詩人。淡窓の末弟だが養子となり学問に専念。若くして咸宜園を継いだ。
廣瀬青邨(せいそん):儒学者。幕末の動乱期に淡窓の養子となり咸宜園を継いだ。又、幕府の長州征伐失敗後、大政奉還、王政復古、さらに慶応四年(明治元年)倒幕戦争の開始と歴史が大きく動く時、抗戦姿勢の西国筋郡代窪田次郎右衛門対し天下の形勢を進言。日田からの立ち退きを実現させた。
廣瀬林外(りんがい):儒学者。旭荘の長男だが淡窓の嗣子(しし)となり、明治初期の最も困難な動乱期、御一新の世に咸宜園を継ぎ、塾経営の建て直しを行なった。
 この先哲八名は、『廣瀬八賢』ともいわれている。 田市教育委員会(現地説明板より)

広瀬淡窓資料館16

心高身低

心高身低(志は高く、身は低く):現大分県知事の広瀬勝貞(かつさだ)氏の座右の銘も「心高身低」だそうです。そして廣瀬資料館は広瀬知事の生家でもあります。

広瀬淡窓資料館18

広瀬淡窓資料館19

広瀬淡窓資料館20

広瀬淡窓資料館21

広瀬淡窓資料館24

広瀬淡窓資料館25


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