佐伯の城下町
佐伯市は、面積が九州で一番広い町です。昔から「佐伯の殿様『浦』で持つ」といわれたように、江戸時代の佐伯藩は2万石ですが、豊かな水産物や木材の運上金のため、藩の財政は石高以上のものがあり、大変栄えていました。
大分県佐伯市
城下町佐伯の昔と今
明治4年頃の佐伯藩時代屋敷図 城山の文学
城跡には国木田独歩文学碑がある。 国木田独歩の「春の鳥の一節」
頂上には城跡が残っています。高い石垣に蔦葛(つたかずら)がからみついて、それが真紅に染まっている塩梅など得も言われぬ趣でした。
昔は天守閣の建っていたところが平地になって、何時しか姫小松疎らに生いたち、夏草が隙間なく茂り見るからに昔を偲ばす哀れな様となっています。
私は草を敷いて身を構えた数百年の斧の入れた事のない鬱たる深林の上を見越しに、近郊の田園を望んで楽しんだことも幾度であるか解りませんほどでした。
佐伯の城下町は、白壁土塀が続く、趣がある町並みです。国木田独歩によって、小説の中に描かれいる佐伯の城下町。国木田独歩の小説の一節を諳んじながら、佐伯の城下町をのんびりと散策しました。
佐伯の城下町には、趣があるお屋敷がたくさんあります。
佐伯市史には、「佐伯の城下町には、文化7年(1810年)の人口調査によると、219戸、1,004人と藩士339戸、1,762人を加えた約2,700余りの人々が生活していた。また、文政9年(1826年)の商家の数は 129軒であった。」と書かれています。
江戸時代の人口調査って、どのようにして行われていたのでしょうか。現代のようにインターネットも電話もパソコンもありませんから大変な作業だったでしょう。
白壁に瓦の土塀が続きます。
赤いポストが懐かしいです。
佐伯の城下町を散策していると、屋根の上に大きな鬼瓦が睨みを効かしていました。こちらの鬼瓦の鬼さんの方が顔が厳ついです。ちょっと出っ歯気味の鬼さんですね。
菊の巴蓋
菊の巴蓋が上がっていました。巴蓋(ともえふた)とか留蓋(とめふた)とも呼ばれています。従来は、屋根の四方の重なり部分からの雨漏りを防ぐために置かれたものだそうです。お椀を伏せたような瓦が多いのですが、獅子、菊、ボタン、波、恵比須さん、大黒さん、亀、鶴など装飾性が高い巴蓋もあちこちで見かけます。
波付き亀巴蓋
佐伯の城下町を散策中、亀巴蓋をあちこちでみかけました。亀巴蓋は飾りだけではなく、火災などから守る、お守りの意味もあるそうです。この亀さんは、首も尾も長いですね。いい波に乗っています。