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四教堂跡

四教堂は、安永6年(1777年)、藩主毛利高標が創立した藩校です。この時に定めた基本理念は、子四津を以って教う。文(学問)、行(徳行)、忠(忠実)、信(誠心)

四教堂跡1

所在地:大分県佐伯市大手町

四教堂跡2

八代藩主高標(たかすえ)は、藩の文教をすすめるため、安永6年(1777年)城内に一大学舎を新築し、これに名づけて「四教堂」(しこうどう)といった。
名称の由来は「礼記」にある詩・書・礼・楽の教えとされ、また「論語」にある文(学問)・行(徳行)・忠(忠実)・信(誠心)の教えともいわれている。玄関ノ間の床には文宣王(孔子)の聖像がかかげられて、四教堂教学のよるところを明示していた。(佐伯市史より)
四教堂の教授:矢野黙斎・山本七兵衛・松下筑陰(筑後久留米・広瀬淡窓の師)・吉田節右衛門・関三左衛門・佐野渉・明石秋室・中島子玉・高妻芳州・秋月橘門(現地案内板より)

四教堂跡3

ここは大手町 藩校四教堂・直心影流道場後。安永6年(1777年)八代高標(たかすえ)は、藩校「四教堂」を開設、隣接して直心影流稽古場開き文武両道の教育を奨励した。これより佐伯藩の学芸は興隆し、多くの人材を輩出した。(現地案内板より)

四教堂跡4

各々の藩で文武両道の教育が行われていた時代は、優秀な人材が多数育ち、藩の繁栄にも貢献しています。現代も学ぶべきことが多いです。もっと教育のレベルを上げて、優秀な人材を育てなければ、日本は浮上できないのかもしれません。全体のレベルを合わせるという教育方法は、全体的な教育レベルを下げているのかもしれません。優秀な人材は国の宝です。国でも地方でも、素質・才能・やる気がある人材には特別な教育を受けるシステムが定着すれば、もっと多くの優秀な人材が育つのではないでしょうか。

四教堂跡5

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