佐伯城三の丸櫓門
寛永14年(1637年)に藩庁の正門として創建された佐伯城の三の丸櫓門です。
所在地:大分県佐伯市三の丸公園内
鶴屋城 三の丸櫓門 大分県指定文化財
この櫓門(やぐらもん)は、藩主の居館が山頂から三の丸に移った、寛永14年(1637年)に藩庁の正門として創建された。近世城郭建築の遺構として城下町佐伯の面影を伝えている。(現地案内板より)
鶴屋城の概略
慶長6年(1601年)佐伯庄、二万石に封ぜられた。毛利高政はここを居城の地と定めてこの山頂に城を築いた。石垣師は播州の人 羽山勘右エ門、築城師は江州の市田祐定。慶長9年着工、慶長11年竣工した山城である。
海抜140メートル登城にはここから四町五十三間(約533メートル)で、西の丸入口の一の門に達する。山城石垣の総長三百三十三間(約600メートル)本丸、二の丸、北出丸、西出丸にわたり、ほとんど石垣だけは昔の姿そのまま残っている。(現地案内板より)
城山周辺案内図
鶴屋城の沿革
慶長11年(1606年)築城・竣工。元和3年(1617年)二の丸失火炎上。寛永14年(1637年)三の丸築城。明治2年(1869年)版籍奉還廃城(現地案内板より)
鶴屋城(山城)鳥瞰図
豊後佐伯城 別名・鶴谷城
鶴屋城の規模
御城直高(三の丸より):60間(約110m)、御城台地形・長さ:80間(約160m)
御城台地形・幅:13間~20間、御天守台石垣:7間半×8間半
御城地形総廻り:333間余(1055m)、御城山廻り:27町30間(3km)、三の丸より山城まで:390間(527m)
鶴屋城の建物:天守閣:三層、二十櫓:五か所、櫓門:四か所、平櫓:一か所、冠水門:八か所(現地案内板より)
明治時代に城を壊してしまったのは、本当にもったいなかったです。日本中にどれだけの立派なお城があったかと思うと残念です。奇跡的に残っているお城が、これからも保存され続けますように。