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石敢當

四百余年の昔から畳屋町の灯飛び地は、町角の石敢當を、魔除け、商いの神、福の神と尊び崇めて大事に守り継いでまいりました。
臼杵市の文化財にも指定されている大変貴重な塔で、歴史の上からも、観光の上からも大事に守り継ぎたいと思います。(現地案内板より)

石敢當1

所在地:大分県臼杵市畳町

石敢當とは

石敢當(せっかんとう)は中国伝来の魔除けの法で九州南部から沖縄・台湾にかけての路傍にあり、九州では鹿児島市内に数個あります。沖縄では石敢當(いしかんとう)と呼ばれ、家庭でも門柱、玄関などに三文字を書いて貼る魔除けの風習が今も残っています。
大辞典に、向かうところ敵なしの義、石敢當は古の勇者の名、その名を石に刻して守護神とす。とあります。畳屋町の塔はその姿の美と形の大きいこと、特に筆跡が唐人の名筆家の作であることから書道界においては典雅な書体であると有名です。(現地案内板より)

石敢當2

なぜ臼杵に

大友宗麟が臼杵に居城を構えた頃、臼杵は早吸瀬戸の難所を往来する船の潮待ち、風待ちで港は賑わい、また、町には大阪堺にも店をもつ西日本随一の豪商で分限者の仲屋宗悦のお店や、唐人のお店が並び農水産物を始め色々な品物の一大集散地として栄えていました。
また南蛮船、大明国の商船も入港して市場を開き遠く豊・筑の人々等も集めて交易をし象をはじめ虎、孔雀や陶器、書画など珍しい品々が荷揚げされました。
取引の上で喧嘩・口論が度々あり皆が迷惑をしていたのを「中国にこれを治める法がある」とで、石敢當の三文字を石に刻して建てたところ以後喧嘩が治まったと言われています。(現地案内板より)

石敢當3

畳屋町の石碑


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