奥平神社
奥平神社は中津城内にある、奥平貞能・奥平信昌・奥平家昌の三柱を祀る神社です。智勇・開運・天徳・除災・護国の神です。
所在地:大分県中津市二ノ丁
中津城本丸・上壇にあります。
御祭神:奥平貞能・奥平信昌・奥平家昌
武運と戦勝 奥平神社御由来
ご神体は、奥平家中興の祖、奥平貞能・信昌・家昌公三柱の御祭神をお祀り申し上げております。
のちに宇都宮城(栃木)を経て宮津城(京都)から入城した7代目奥平昌成公は中津城入城の翌年享保3年正月(1718年)、城内二の丸にあった観音院を祈祷所と改称し、11代目昌高公が天明7年(1788年)、祈祷所を長福寺と改名いたしました。現在の中津裁判所がその旧敷地であります。
御祭神の貞能・信昌・家昌公三公は永禄3年(1561年)より元亀・天正・文禄を経て慶長19年(1619年)に至る58年間、幾多の戦功をたてられて徳川氏に忠節を尽くしてきました。
特に奥平家2代目の信昌公は関が原の合戦後、初代京都所司代として綱紀を振るい凶賊から庶民を護りました。後世武士(もののふ)の鑑として徳川300年の礎を築き、人々から義勇と武功を称えられました。(現地案内板より)
お賽銭箱にも奥平家家紋の奥平団扇が施されていました。
二代信昌公の御室は徳川家康の長女亀姫です。三代家昌公は家康の孫です。