正寿山 浄安寺
浄安寺は寛永17年(1640年)に、小笠原長継の菩提を弔うため小笠原政直が建立した寺院です。
所在地:大分県中津市寺町995
現在の本堂は文化8年(1811年)に、舟町の豪商井筒屋勘之助高道の寄進により、再建されたものです。
浄安寺は、寛永17年(1640年)小笠原長継の菩提を弔うため、長男の小笠原政直が建立したと伝えられています。
正徳5年(1715年)9月、本堂と鐘楼は焼失しました。現在の本堂は、文化8年(1811年)、舟町の豪商井筒屋勘之助高通の寄進により、再建されたものです。
浄安寺境内の墓所には、次のような墓などがあります。
和田豊治の墓(富士紡績で活躍し後社長となる。中津に和田奨学金を設けた。)
神官で渡部重名以降代々国学者が続いた渡辺家の合葬墓
福澤諭吉が一時養子になったこともある中村術平の墓(術平は、福澤百助の実弟で中村家の養子になった)
中津藩の祐筆で書家の磯田祟山・東郭の墓
書家の中村寿山の墓。墓碑は福澤百助の撰である。
小笠原長継 慶長9年(1604年)没。法号心誉浄安寺殿。小笠原中興の祖で中津小笠原藩の祖でもある。松本城主貞慶の従弟にあたり五千貫の分地を受けた。
中津市教育委員会(現地案内板より)