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高輪地蔵

東京の高輪南町の奥平藩の下屋敷の隣藩との境界争いの際に、正直に証言した隣藩の家臣が上司達に死罪にされ、奥平の屋敷内に亡骸を投げ入れました。これに心を痛めた奥平忠昌公がその隣藩の家臣を地蔵菩薩として地蔵堂に納め、終生お参りをしたそうです。

高輪地蔵1

所在地:大分県中津市二ノ丁 中津城本丸内

高輪地蔵の由来

徳川家四代将軍家綱の頃(明暦2年・1656年)奥平家は東京高輪南町に下屋敷を賜った。その頃も現在と変わらず、隣との地境争いは頻繁であり、奥平家下屋敷も隣藩との境界争いとなっていた。しかし裁き所で証人として出た隣藩の名も知れぬ家臣は正直に「ここまでは我が藩の屋敷だが、そこからは奥平藩の土地である。」と堂々と証言したと伝えられている。これに腹を立てた上司達は即刻彼を死罪にし、奥平の屋敷内に亡骸を投げ入れたという。
中津藩主四代奥平忠昌公はこれにとても心を痛め懇ろに供養し、この家臣を地蔵菩薩として地蔵堂に納め終生お参りをした。
大地の神、地蔵菩薩は屋敷神として古より尊ばれ受け継がれ、このたび新たな使命に燃えてここ中津城本丸に移る。

地蔵菩薩の後利益

大地を司る財宝神・慈悲の菩薩・子授け・子供の健やかな成長祈願・いかなる災害をも除き延命を助ける。あらゆる分野で人々の切なる願いを満たしてくれる無上の存在です。
地蔵の縁日:7月24日 御日は毎月24日(現地案内板より)

奥平忠昌公は、なんと慈悲深い方なのでしょう。


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