赤壁寺 合元寺
赤壁で有名な合元寺は、天正15年(1587年)に黒田孝高が建立した古寺です。この合元寺の壁は、不思議なことに深紅に塗られ、別名赤壁寺とも呼ばれています。
所在地:大分県中津市寺町973
赤壁 合元寺(ごうがんじ)
通称「赤壁」といわれるこの寺は、浄土宗西山派。開山空誉上人は、天正15年(1587年)黒田孝高(如水)に従って姫路から中津に来錫した。その後、天正17年4月、孝高が前領主、宇都宮鎮房(しげふさ)を謀略結婚により中津城内に誘殺したとき、その従臣らが中津城を脱出し、この寺を拠点として奮戦し最期をとげた。
以来門前の白壁は幾度塗り替えても、血痕が絶えないので、遂に赤色に塗られるようになった。当時の激戦の様子は現在も庫裏の大黒柱に刃痕が点々と残されている。
また、戦死した宇都宮家の家臣は合葬し、寺内の延命地蔵菩薩堂に祀り菩提を弔った。その空誉上人は、宇都宮鎮房の庶子であったといわれ、文武の道に秀で世人の崇敬が篤かったため、後事をおそれ、慶長16年、黒田長政に福岡城で誘殺された。という哀史を秘めた寺である。寺内には、三浦梅園、倉成龍渚の師、儒学者藤田敬所(藤貞一)の墓がある。後のお堂は経蔵である。中津市教育委員会 中津の郷土史を語る会(現地案内板より)
深紅に塗られた壁が続きます。
六地蔵