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宇佐神宮・弥勒寺跡

738年に境内に建立された神仏習合文化発祥の壮大なお寺の跡です。

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弥勒寺跡

表参道の突き当りの祓所方面へ右へ曲がり、真っ直ぐに進むと弥勒寺跡があります。

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738年に境内に建立された神仏習合文化発祥の壮大なお寺の跡。国東半島の六郷満山文化に大きな影響を与えました。明治時代の神仏分離により廃寺になりました。かつてここで安置されていた釈迦如来像は、現在では近くの大善寺に安置されており、国の重要文化財です。(宇佐神宮パンフレットより)

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宇佐神宮は、古くは宇佐八幡宮、または八幡大菩薩宮などと呼ばれていました。神仏分離以前は、神宮寺の弥勒寺と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していました。

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弥勒神宮寺の成立

宇佐神宮関係の史料によれば、725年に八幡神を現在の小椋山に移したとき、東方の日足の地に弥勒禅院を建てたことが記されています。また、738年に金堂・講堂を建立しており、このころ着手して奈良時代に完成したものと考えれています。西参道の南側に寺跡の中心遺構が保存されています。
発掘調査によって金堂・講堂を南北中軸線上に配し、金堂の前面に東西2基の塔を並べた、いわゆる薬師寺式の伽藍配置であることが確認されています。境内全体の規模は、東大門と西大門の間で約150m、南北もほぼ同じ長さであったと推定されます。
現在は伽藍跡のみとなっていますが、かつて聖武天皇の勅願寺でもあった「弥勒寺」という神宮寺も境内にありました。弥勒寺は、江戸時代に廃寺となり、その後、伽藍も災害で失ってしまいました。(現地案内板より)

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応永の八幡宮古図

この絵図は製作年が不明ですが、建築史などの立場から室町時代の応永年間のものであることが明らかにされています。
寄藻川を渡ると大鳥居から真っすぐ南へのびる参道を軸として、東側には八幡宮の社殿が立ち並び、西側には弥勒寺の伽藍が広がっています。
周辺には宇佐宮八箇社をはじめ、御許山、和間浮殿、薦社、奈多社などが描かれており、神仏習合の理想世界を表現しています。平成10年 宇佐市教育委員会(現地案内板より)

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弥勒寺跡近くの狛犬付灯籠

弥勒寺跡近くに石灯籠が1対立っています。その灯籠の上に、狛犬がいます。

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弥勒寺跡近くの狛犬

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小さな狛犬は、目が真ん丸で大きくて、口も大きく、歯が上下ともぎっしりと並んでいます。

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