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北野山 小武寺

小武寺(おだけじ)は、明和9年壬辰(1772年)作の石造仁王像、木造薬師如来像、木造倶利伽羅竜剣像などがある、杵築市山香のお寺です。

小武寺1

大分県杵築市山香町大字小武1592-1

小武寺7

小武寺仁王像

小武寺3

小武寺山門

小武寺8

山門の蟇股などに彫刻が施されています。

小武寺4

小武寺5

薬師堂

小武寺13

木造薬師如来像

天住山小武寺(おだけじ)は平安時代、空也上人光勝の開創といわれ、いつ真言宗になったかは不明である。
 薬師如来は瑠璃光世界の教主で、人間の苦悩を癒し、内面の苦悩を除くなど十二の誓願をたてた如来である。
 この薬師如来像は頭・躰・袖まで檜材の一木で彫りあげた姿で背面は内刳りを施し、背板を矧付けてある。
 光背・台座は共に江戸時代前後の補作と言われ、像高:164cm、総高は台座ともで203cmである。
 着衣は両肩をおおう通肩で襞を省略した表現法をとり国東平安仏らしい地方色の豊かな優秀作品である。(現地案内板より)

小武寺10

小武寺12

収蔵庫

木造倶利伽羅竜剣像が安置されています。

小武寺6

木造倶利伽羅竜剣像

 倶利伽羅とは梵語のクリカラのことで黒竜と訳され、不動明王の変化した形とされている。
 黒い竜が剣にからみついてこれを呑もうとしている姿で、剣は不動明王、竜は竜王を表現しているという。
 また一説では剣は不動明王が右手に持っている降魔の利剣、竜は左手に持っている羂索を表し、不動明王の化身の姿ともいわれている。
 像高:178cm、榧材の一木で作られているが、頭髪や白毫・右眼・下顎等が欠けている。
 このような木彫は珍しく、口を大きくあけた顔や、ぬめりとした躰部の肉取りなどには迫真力があり、製作年代は不明であるが、藤原期の姿を美しく表した平安時代後期の作といわれる。(現地案内板より)

小武寺20

小武寺国東塔

小武寺9

この国東塔のある境内は、明治初年に現在の石垣の高さに埋め上げされ、その時現在地に移転されたが、造立当時の場所は不明である。
 国東塔は、下から基礎・台座(蓮華座)・塔身(胴部)・笠・相輪の五部分からなり、平安時代に創始された宝塔の一変種で、塔身下部と基礎の間に蓮弁を彫刻した台座を入れた、大分の国東地方特有の塔である。
基礎は二重か三重が普通であるが、この塔は一重で四面に格狭間が二箇ずつ刻まれ、塔身の首部には方形の小孔があり内部の空洞に通じている。
欠損箇所や塔身に、縦に数条の線が落書きされているほかは、原形を保っている。総高:342cm、塔身は高さ:90cm、同廻り:300cmの重量感のある塔である。銘文等はないが室町期を下らない国東塔である。(現地案内板より)

小武寺11

石造物がたくさんあります。

小武寺14

小武寺15

小武寺17

小武寺19

小武寺18

小武寺の前の道を挟んで向こうには、青々とした田んぼ広がっていました。

小武寺16


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