佐野家
医家として藩に仕え名を残しながらも、詩文や書画、あるいは茶道、俳諧の分野においても多くの著名人を輩出した佐野家の屋敷です。
大分県杵築市杵築329
公開時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
右上に掲げられている書は、佐野家の家号「洞達亭」と書かれています。この洞達亭は、三浦梅園が名付けたそうです。
佐野医院
佐野家は、代々御典医として杵築藩に仕え、医家として高名を馳せる一方、詩文、書画等の文雅の道、或いは茶道、俳諧の風雅の世界においても著名な人物を出している。
家屋は正面の主屋が天明2年(1782年)建築のもので、よく旧情をとどめている。三浦梅園の筆なる達亭記は、この家屋の落成に際して寄せられたもので、佐野家の家号洞達亭もこれに由来する。(現地案内板より)
佐野家の由来
徳川家康が江戸に幕府を開いたのが慶長8年(1603年)。この年佐野家の始祖徳安は伊賀国名張郡で誕生した。元和元年(1615年)、大坂夏の陣後の騒乱を避け、豊後岡藩(竹田)の藩医伯父佐野卓節の元に身を寄せて医学を修めた。
業なって杵築の中村へ移り、「刀圭ノ妙、神ノ如シ」と謳われた。噂を聞いた藩侯小笠原忠知は西町に宅地を与え、侍医として召し抱えた。以来約400年、佐野家は代々医家として盛名を馳せ今日に至っている。(杵築市教育委員会パンフレットより)
銅鏡
佐野家の方々は、優れた医者であったのみならず、優れた文人であり、高尚な趣味人でもありました。佐野家の方々が三浦梅園や田能村竹田らと深く交流していたことを偲ばせる書画などが展示されています。
顕微鏡
外科用、眼科用など様々な診療器具を展示しています。