磯矢邸
勘定場の坂を上った所にある、藩主の御用屋敷の一部が、磯矢邸として残っています。
大分県杵築市杵築207
公開時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
勘定場の坂を上った所に、藩主の休息所として設けられた御用屋敷の「楽寿亭(らくじゅてい)」。その一部、玄関の間、客間の座敷、茶室の三部屋が磯矢邸として現在も残っています。
磯矢邸
藩政時代、このあたりは「北台家老丁」と呼ばれていました。この屋敷は記録(居宅考え)によると、宝暦年間(1751年~1763年)のころは、安西源兵衛が住んでいましたが、寛政の大火(1800年)の後、御用屋敷(藩主の休憩所)である「楽寿亭」の一部に組み込まれました。楽寿亭は文政7年(1824年)に廃止されますが、その後再び武家屋敷となり、明治初年の「藩士居住図」や加藤家寄贈文書類の調査から幕末には、加藤与五右衛門(200石)の屋敷だったとわかりました。
平成8年度の保存解体修理の際発見された棟札や瓦から文久4年(元治元年・1864年)には、ほぼ現在の形になったものと思われます。
平成6年、磯矢昭三氏から寄贈を受けたことから磯矢邸と名付けました。(現地案内板より)