椿八幡神社
大きなクスノキがこんもりとした鎮守の森をつくっています。石造仁王像、石造太鼓橋などがあります。
所在地:大分県国東市武蔵町三井寺
大きなクスノキがある神社です。このクスノキは、樹齢:約1000年、樹高:30m、幹周:8m、武蔵町指定天然記念物です。
石造台輪鳥居
宝永2年(1705年)造立 台輪鳥居
鳥居上部の横木(島木)と柱の結合部が、丸い台輪で結ばれています。この台輪がはまっている鳥居がある近くには必ずといっていい程お寺があります。
椿八幡神社
祭神
一之殿:八幡大神(誉田別命)
二之殿:比売大神(多岐津姫命 市杵島姫命 多紀理姫命)
三之殿:神功皇后(息長帯姫命)
椿八幡神社クスノキ
樹高:30m 樹齢:1000年以上
御神木の樟(クスノキ)は、治安3年(1023年)現在地に鎮座の際の記念樹であると伝えられています。
椿八幡神社由緒
椿八幡神社は、宇佐神宮の分祀で、天平神護元年(765年)10月8日、信託によって御在所山に鎮座した。
凡そ260年間に数度の野火に遭い、治安3年(1023年)の火災を機に、現在地に社殿を造営し、御神体を安置した。
爾来宇佐神宮の末社への行幸会が、6年に1度執行されたが、元和2年(1616年)頃途絶えた。
当時の郷社椿八幡の氏子は小原、上小原、黒津、治郎丸、綱井、重藤、両子、諸田、新、中村、小俣、富永、恒清、久末、油留木、吉松、七郎、一之瀬、武蔵町分(15村)は記載省略、の33村であったが、江戸前期には25村となり、末期には18村となって現在に至っている。鎌倉以後領主は尊厳があつく、特に今市城主の武蔵田原氏は社殿の造営に意をそそいだ。
江戸時代の松平氏は、藩主自ら施主となり、豪商・豪農・庄屋の寄進により造営・修復工事を施工し、庶民は労働奉仕をした。
昭和13年(1938年)8月27日県社に昇格された。
御神木樟は、治安3年現在地に鎮座の際の記念樹であると伝えられている。(現地案内板より)
宇佐神宮と同じく、祭神が本殿に向かって左から順に一之御殿、二之御殿、三之御殿と祀られています。主祭神は八幡大神である誉田別命を祀っています。
宇佐神宮の神託によって天平神護元年(765年)に御在所山に創建されたのが始まりと伝えられ、度々の火災に見舞われ社殿の焼失、造営を繰り返していましたが、治安3年(1023年)の火災を機に現在地に造営されました。かつては境内裏の照恩寺を神宮寺に持ち、神仏習合の文化を育んでいましたが、明治の神仏分離、廃物希釈によって夫々が独立したた形となりました。
一説によると、宇佐神宮から御験が八幡奈多宮に送られると、奈多宮より椿八幡神社に宇佐神宮から送られてきた神宝が納められたと言われています。
境内入口に建つ神門に掲げられた額は、八幡奈多宮の神門に掛けられているものと全く同じものです。(豊の国千年ロマン観光圏協議会パンフレットより)
椿八幡社の狛犬 阿形
椿八幡社の狛犬 吽形
石灯籠
石灯籠
鬼瓦
石造太鼓橋
石造太鼓橋と神門
石燈籠
自然石の手水鉢
石燈籠
石殿