九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

青宇田画像石

石板に仏像を線彫りした画像石94枚が展示されています。

青宇田画像石1

所在地:大分県豊後高田市美和羅漢の下1004

青宇田画像石2

青宇田(あうだ)画像石は、南北朝時代に彫られたものと伝えられています。

青宇田画像石3

青宇田の画像石

所在地:豊後高田市大字美和字羅漢の下1004番地
種類:画像石 石質:剥離石 形容:0.15m~1m内外の板状の石
数量:94枚 製作年代:至徳2年(1385年)・明徳2年(1391年)の銘あり。南北朝時代末期、丘陵の一角にあった、延命寺の僧、一道・道念他5名の発願に依り完成した。
角閃石安山岩(剥離石)に願文、13仏種子、十王庁展開図、阿弥陀来迎図、六地蔵、阿羅漢などを線彫りして、浄土思想を絵巻物風に表している。
国東半島に分布する石造美術の中で特異性に富み、珍重な存在である。
昭和33年3月25日大分県指定有形文化財指定、境内に石造四天王四躯:昭和57年6月1日豊後高田市指定有形文化財指定(現地案内板より)

青宇田画像石5

阿羅漢図

阿羅漢とは、人として修行の末に到達することができる最高位の聖者です。

青宇田画像石6

 青宇田の画像石は、南北朝の末期(1390年頃)に、ここ青宇田にあったと伝えられる延命寺の僧一道と道念ら(他5名)が、当時の浄土教の教えを絵巻物風に、板状の石に線刻したものです。その形状から磨崖仏などと同じ石仏の一種と言えますが、地獄や極楽のさまを板石数十枚にわたって線彫りしているという点では、全国的に例がなく、大変貴重なものです。
 これらの画像石は、元々、元収蔵庫後ろの崖の上にあったといわれる寺院で作製され、崖にはめ込まれていたのではないかと伝えられてきました。いつの時代からか、崖の下に安置された状態で、破片なども合せて94枚が現存していますが、永年風雨にさらされているため、画像の磨減が著しく、判読が難しいものや、失われたものもあるようです。昭和33年に大分県の有形文化財に指定されました。
 絵図は、当時民衆の間で広く信仰されていた浄土教の教えを経典に従って表しており、地獄や極楽のさまを示すことによって、”人”の生き方を戒める意味がこめられているようです。中でも菩薩達を従えて阿弥陀如来が優しく微笑む「阿弥陀来迎図」や、いかめしい十王が死者を砂漠様子を描いた「十王庁展開図」、さまよう死者たちに救いの手をさしのべ地獄の苦しみから解放する「六地蔵図」、人として修行の末に到達することができる最高位の聖者である「阿羅漢図」などは優れています。

青宇田画像石4

六地蔵図

六道、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界にいて、まよえる人々を救済し、仏の教えに導くと言われる六人の地蔵菩薩に対する信仰は、中世以後広く民間に伝わったと言われています。地蔵の頭上の銘はそれぞれ発願者の名前が刻まれていると考えられます。(現地案内板より)

青宇田画像石7

青宇田画像石8

青宇田画像石 仁王像

青宇田画像石9

仁王像阿形

青宇田画像石12

仁王像吽形

青宇田画像石11

青宇田画像石10

青宇田画像石14

青宇田石造四天王 四躯

青宇田画像石15

青宇田画像石13


大分一覧

  大分  別府・日出  国東  豊後高田  杵築
  宇佐・中津  臼杵・佐伯  日田・玖珠  竹田・大野