妙徳山 泉福寺
妙徳山泉福寺は、永和元年(1375年)に田原氏能の母・無伝尼公が発願し、無著妙融を開山として創建された曹洞宗寺院です。
所在地:大分県国東市国東町横手1913
泉福寺境内
妙徳山泉福寺は、永和元年(1375年)に田原氏能の母・無伝尼(おでんに)公が発願し、無著妙融(1333年~1393年)を開山として創建された曹洞宗寺院です。曹洞宗は禅宗の一つで、道元が中国に渡り天童寺で曹洞宗の長翁如浄に師事し、嘉禄2年(1226年)に帰国して日本に伝えました。本山は永平寺(福井県)と総持寺(神奈川県)です。当寺院の本山は総持寺です。
諸記録を19世紀に編纂した「泉福寺源燈録」(市有形文化財)によると、水のある場所に寺地を定めようとしていた開山無著の前に、手に如意を持った文殊菩薩の化身である童子があらわれ、地面を指し「水あり」と言って消えたので、その場所に杖をさすと、たちまち泉(文殊泉)が湧いたといいます。文殊菩薩の漢訳名は「妙徳」であり、当寺院の山号になっています。
寺地は丘陵の南斜面にあり、南から階段状に惣門・山門(県有形文化財)・仏殿(国重要文化財)・客殿(本堂*現在はさらに一段高い位置に再建)を軸線上に配し、西に禅堂(座禅堂)と衆寮(現在は位牌堂)、東に開山堂(国重要文化財)と昭堂などが建つ本格的な禅宗様伽藍です。
無著が没した明徳4年(1393年)以後、泉福寺の住持は「十六哲」と呼ばれる十六名の無著の弟子によって担われました。その後も、歴代住持は無著の法系を受け継ぐ弟子たちが務め、近世まで原則1年の任期でした。無著の法系を受け継ぐ弟子たちが開山となった寺院は、九州だけでなく全国に広がっています。(現地案内板より)
泉福寺山門
山門は、禅宗様の山門です。大きさは桁行三間、梁間二間ですが、石造仁王像を安置する初層の両脇間は小さく、桁行の長さが制御されています。屋根は桟瓦葺の入母屋造りですが、古い写真では茅葺となっています。
初層の軒は平行垂木で、斗きょうも和洋ですが、二層の軒は扇垂木で、禅宗様の斗きょうです。下を和洋、上を禅宗様としているところが建築上の特徴です、。二層には木造の地蔵菩薩立像と十六羅漢像を安置しています。(現地案内板より)
泉福寺仏殿
仏殿は、大永4年(1524年建築)の建立です。室町時代にさかのぼる本格的な禅宗様仏殿の数少ない遺構であり、九州最古の仏殿です。元禄5年(1692年)~元禄7年(1694年)にかけて大修理が行われているものの、巧みに中世の建築様式を継承しており、禅宗様の建築様式の伝播や普及を考えるうえで大変重要な木造建築物です。平成17年~19年にかけて全解体修理を行っています。平成13年11月14日国指定重要文化財指定(現地案内板より)