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旧千燈寺跡

旧千燈寺は、西の高野山と呼ばれていました。現在は建物はなく、石垣を積み上げた坊跡や石畳の参道が残っています。本堂跡の前には、半肉彫りの阿吽の仁王像が立っています。

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補陀落山 千灯寺 (千燈寺跡)

所在地:大分県国東市国見町千灯 拝観時間:自由 拝観料:無料
駐車場:無料・2台位しか止められません。

旧千燈寺跡6

県指定 千灯寺址

千灯寺は天台宗六郷山28ヶ寺の内、正宗分中山10ヶ寺中の本寺で末寺16ヶ寺があった。 山号:補陀落山、寺名:千灯寺、開基:仁聞 天正年間大友の兵火により本末寺院仏閣並に寺領千国共没収され寺僧侶離散し廃寺となる。文禄年間再興に向かい当時七堂伽藍を擁し衆庶の崇敬信仰篤く中興なるも明治維新新後末寺分離した。
近くに仁聞の墓、五輪塔群、奥の院、六所権現、仁聞入寂の岩屋等がある。
注意:盗掘・破損・伐採・汚濁等の行為をした者は文化財により罰せられます。こわすまい みんなの宝 文化財  国見町教育委員会  (昭和53年3月31日)(史跡 昭和47年3月21日)(現地案内板より)

旧千燈寺跡8

千灯寺

寺号:補陀落山千燈寺(天台宗) 本尊:千手観世音菩薩
由緒縁起:本寺は、養老2年仁聞菩薩の創建と伝えられ、六郷山中山本寺である。かつて末寺、末坊38ヶ所を有していたと伝えられる。仁聞菩薩が同行5人と不動石屋において不動の法を行じた時、東北海の龍王がその徳に感じ、献燈すること一千に及んだ。よって千燈寺と称するにいたったという。
当寺は、仁聞入寂の地として、また六郷満山無常導師所として六郷満山中で重要視された寺である「太宰管内志」に「仁聞入寂の地・本堂千手・六所権現・山王権現・薬師石屋・普賢石屋・大不動石屋・奥の院不動石屋・退転牛王石屋・小不動石屋八大龍王石屋・千燈寺末寺 平等寺金光寺 真覚寺」とある。
広い境内の中に多くの史跡文化財があり、県指定史跡となっている。西不動は千燈の谷を挟んだ西山に点在し、修験道行者が聖地とした行場である。(現地案内板より)

旧千燈寺跡5

旧千燈寺跡10

旧千燈寺跡11

旧千灯寺の参道には、多くの石段と石畳があります。新緑の頃の清々しさ、紅葉の頃の趣、どちらも甲乙つけがたい素晴らしさです。

旧千燈寺跡9

旧千燈寺仁王像17

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旧千燈寺跡3

西行戻し

旧千燈寺跡3

旧千燈寺の「西行戻し」、または「西行返し」と呼ばれている場所です。

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西行戻し 地名伝承

平安時代末期、京都御所の北面の武士であった佐藤義清は平家の没落を見て、世をはかなみ西行と名を改め、真言僧となり、全国行脚の旅に出た。九州に渡り、六郷満山の千燈寺の住職の器量をみようと、登ってここまできた時、たまたま小僧が綿を持って下って来るのに出会った。
そこで西行は小僧に向かって「その綿は売るか」と言ったところ、小僧は即座に「谷川の背に住む鮎の腹にこそ うるかと言っへるわたはありけれ」と和歌で答えた。「小僧でさえこれほどであれば、和尚の器量は見なくても分かる」と、ここで引き返した。それでここを西行戻しと言うようになったという。※「売るか」「うるか…鮎のはらわた」(現地案内板より)
しかし、西行さんは何故戻ったのでしょう。私だったら、小僧でさえ見事な受け答えをするとあれば、益々和尚さんに会いたくなります。是非是非、和尚さんのお話を伺いたいと思うのですが…。きっと西行さんは、その先まで御見通しだったということでしょう。

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西行戻しの宝筐印塔

旧千燈寺跡12

県指定史跡 千灯寺跡

この史跡の中には、左記のように数多くの史跡や文化財があります。記  〇西行返し・宝筐印塔、姫板碑、磨崖仏、西の坊跡、本堂跡・仁王像、庚石、講堂跡・礎石・水盤、奥院窟・堂宇、磨崖仏、灯籠、石造仏、枕の窟(仁聞入寂の窟)、六所権現窟、薬師窟、三王窟、弘法堂・五輪塔群、国東塔その他各種石塔、不動窟・堂宇、石造仏、国・県指定の史跡や重要文化財を破壊し、き棄し、又は隠匿したりすると法律や条例により罰せられます。◇史跡や文化財を大切に守りましょう。(現地案内板より)

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旧千燈寺跡15

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旧千燈寺跡17

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六所宮

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旧千灯寺の六所宮

旧千灯寺の六所宮の鳥居と灯籠です。

旧千燈寺跡20


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