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ペトロ・カスイ岐部記念公園

江戸初期に日本人として初めて聖地エルサレムに立ったペトロ・カスイ岐部の記念公園です。

ペトロ・カスイ岐部記念公園1

大分県国東市国見町岐部 国見ふるさと展示館に隣接している公園です。

ペトロ・カスイ岐部記念公園2

ペトロ・カスイ岐部銅像

東京芸術大学名誉教授 78年芸術選奨文部大臣賞受賞 1999年文化功労者授賞 船越保武先生作(現地案内板より)

ペトロ・カスイ岐部記念公園3

ペトロ・カスイ・岐部神父(右)と大目付 井上筑後守政重

ペトロ・カスイ岐部記念公園4

世界を歩いた最初の日本人ペトロ岐部カスイ

天正15年~寛永16年(1587年~1639年)江戸時代初期の邦人司祭。ペトロは洗礼名、カスイは号。国見町の豪族岐部氏の一族で父はロマノ岐部、母はマリア波多。長崎・有馬のセミナリオで学び、イエズス会の同宿(伝道士)となる。
慶長19年(1614年)に宣教師が国外に追放され、翌元和元年ペトロもマカオへ渡るが、司祭叙階への希望を絶たれ、ローマを目指す。
インドを経て、元和5年(1619年)日本人として初めて聖地エルサレムを訪れた後、同6年ローマへ至る。同年ラテラノ教会で司祭に叙階され、イエズス会入会を許され、聖アンドアレア修錬院に入る。
壮年8月帰国の途につき、マドリード、リスボンを経て寛永元年(1624年)インドに至り、翌年マカオに到着。帰国の機会を得るためシャム(タイ)に行き、マニラを経て同7年ルバング島を出発して薩摩の坊津に帰着。長崎から東北に移り、迫害下のキリシタンのために働いていたが、棄教せず同年52歳で殉教した。ペトロ岐部カスイ神父偉徳顕彰会 (国見ふるさと展示館パンフレットより)

ペトロ・カスイ岐部記念公園5

ペトロ・カスイ岐部記念公園6

「ペトロ岐部カスイ」

日本人として初めて聖地・エルサレムへ足を踏み入れた宣教師、ペトロ岐部カスイ。ここでは日本内より集めた貴重な資料や説明パネルで、16世紀最大の国際人の足跡を辿ることができます。仏教文化が中心を占める時代の中で特異な光を放つのが、江戸初期の偉大な宣教師、ペトロ岐部カスイ。キリストとともに生き、キリストに殉じた彼の生涯は、実に波乱に満ちたものでした。
長崎のセミナリヨ(神学校)卒業ののち、禁教令によりマカオへ追放。司祭となるため、マカオからローマを目指し出発しました。ゴア~ペルシア~エルサレムと渡り、1620年、ついにローマへ到着。熱心な修行により、その年の11月には司祭に叙せられる異例の出世を果たします。
しかし、日本での迫害悪化の報いに心を痛めて帰国の意思を固め、アフリカまわりで10年をかけて日本に帰国。潜伏して不況に努めていましたが、仙台藩で捕えられ、1639年、52歳の若さで江戸で殉教を遂げました。並々ならぬ強い意志とキリストへの限りない敬愛を貫いたペトロ岐部カスイ。彼の立像は、故郷・岐部の地で遠いローマの方角を見据え、今日も深いまなざしを注いでいます。(国見ふるさと展示館パンフレットより)

ペトロ・カスイ岐部記念公園7

ペトロ・カスイ岐部記念公園8

ペトロ・カスイ岐部記念公園9


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