暘谷城址
大分県日出町にある日出城は、別名暘谷城と呼ばれていました。
暘谷城趾の碑
所在地:大分県日出町2610 日出城大手虎口跡にあります。
天守台跡には石垣が残っています。
日出城址(暘谷城址)
慶長6年(1601年)、日出藩初代藩主木下延俊は入国後直ちに築城にかかり、翌年8月には大方の普請ができ入城した。城の縄張り(設計)は細川忠興が行い、石垣の構築は家臣で築城の銘酒穴生理右衛門が野面積みで築き、木材は鹿鳴越の大木を用いたといわれる。
別名暘谷城と呼ばれ、三代藩主木下俊長が中国古書「淮南子」より引用し命名したといわれる。
本丸には三層の天守閣をはじめ、二層の櫓五ヶ所・平櫓が築かれ、これを中心に二の丸・三の丸・外郭と三重の構えを備え、外郭には武家屋敷や民家を取り入れた。
明治7年(1874年)、大分県は城内建物を競売に付し取り壊したが、その一つ隅櫓(鬼門櫓)は町内仁王地区へと移築され現存している。
本丸下の海岸は俗に「城下海岸」と呼ばれ、眺望絶佳、大分県百景、別府八景の一つに指定されている。この海中の真清水が湧く一帯は、「城下かれい」の名で知られるマコガレイの棲息地となっている。昭和35年10月17日 日出町史蹟指定(現地案内板より)