帆足萬里像
日出城址前にある、帆足万里像です。帆足万里は、日出藩出身の江戸時代後期の儒学者です。
所在地:大分県日出町2594
郷土の碩学
三浦梅園、広瀬淡窓、帆足万里は、豊後三賢人と言われています。
豊後三賢 郷土日出町の碩学 帆足萬里
江戸時代後期の儒学者・家老。安永7年(1778年)日出藩の家老帆足通文の三男として生まれた。
14歳で豊岡の儒学者脇蘭室の門に入り、ほとんど日出の地を出ることなく独学で研究に努めた。経済、物理、医学、天文などの各分野にも通じ、萬里の学識は西欧の諸学者に肩を並べるものがあった。
天保3年(1832年)、13代藩主木下俊敦に請われて家老職につき、藩財政の再建にも力を尽くした。
嘉永5年(1852年)6月14日、多くの弟子に見守られて75歳の生涯を閉じた。
帆足萬里の代表的著書に、「窮理通」「東潜夫論」などがある。また、三浦梅園(安岐)・廣瀬淡窓(日田)とともに、豊後の三賢と称される。(現地案内板より)