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別府野口病院

赤い屋根の木造二階建ての洋風建築のこの建物は、現在も野口病院の管理棟として活躍中です。野口病院のこちらの建造物は、登録有形文化財に指定されています。

別府野口病院1

所在地:大分県別府市野口中町6-33

玄関の屋根は赤い四角錐の尖頭屋根になっています。玄関を中心に、両翼に半切妻洋瓦葺の屋根もあります。建物の片隅にぽつんと立つ赤いポストも懐かしいですね。

別府野口病院2

野口病院は、大正11年(1922年)に創立された病院です。特に甲状腺疾患の治療と研究では実績があり、大分・別府では、甲状腺の病気とか、バセドウ氏病と聞くと「別府の野口病院にいっちみよ」という声をよく聞きます。高い医療技術を頼って、大分県下のみならず全国各地からも患者さんがみえるそうです。
現在の野口病院では甲状腺疾患の他、副甲状腺疾患、糖尿病、乳腺疾患などにも力を注いでいるそうです。

別府野口病院3

野口病院管理棟

 1922年(大正11年)竣工。木造モルタル2階建て。洋瓦ぶき。床面積:1,000平方メートル。
 正面の赤い四角錐の尖塔屋根と、それを軸とする左右対称に配置された半切妻屋根を持つブロック構成による外観が特徴。屋根下はハーフティンバーとし、その間の壁は白漆喰(しっくい)を取り入れて、モルタルスペイン壁で羊羹の雰囲気を出している。1986年(昭和六十一年)に全面改装を行ったが、外観はそのまま残されている。平成8年に国の登録有形文化財(建築物)となった。(現地案内文より)

別府野口病院4

新しい野口病院

別府野口病院5

野口病院の管理棟を寄贈した佐藤慶太郎氏は、福岡県北九州市若松の石炭商でした。佐藤慶太郎氏はこの野口病院の他、東京都美術館の建設費用も寄付しています。また、北九州市若松の高塔山入口の佐藤公園も寄付しています。
若松今昔物語のページに掲載されていた中でも特に印象的だったのが、「私は学者でも政治家でもない。私にできることはまじめに働いて得た浄財を、世のため人のためにささげるという金銭奉仕」と淡々と語って百万円を寄贈したという話です。
その百万円というのは現在の価値で20億円位で、東京都美術館建設費用だったそうです。なんと太っ腹で、なんと豪快で、そして勤勉で、謙虚で、素晴らしい方なのでしょう。北九州市の財界人 故佐藤慶太郎氏が初代院長 野口雄三郎博士に寄贈したものだそうです。別府の歴史を調べたり、教えていただいたりしていると、北九州や筑豊との繋がり、関連が深く、大変興味深いです。


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