実相寺古代遺跡公園
実相寺遺跡(じっそうじいせき) 九州横断道路の建設時に発見された遺跡を復元、移築し保存している公園です。
所在地:大分県別府市春木5-2
穴住居復元家屋(現地説明板より)竪穴住居とは、住居内の床面を掘り下げて建てられた、縄文時代から古墳時代にかけての一般的な古代の住居のことです。この「実相寺古代遺跡公園」内の茅葺きの建物は、九州横断道路建設の際に発見された、いくつかの弥生時代の住居跡のうち、ひとつの竪穴住居の柱穴や竪穴をもとに復元しています。広さは、4×4.5メートルで、夫婦単位の住居であったと考えられます。また、このあたりは「実相寺遺跡」とよばれ、有名な佐賀県の吉野ヶ里遺跡のような大規模なものではありませんが、別府の古代のくらしを知る上で、別府市内では数少ない貴重な遺跡です。平成5年3月 別府市教育委員会 (現地説明板より)
奥壁や側壁の巨石には、朱を施した跡がありますが、装飾等は認められず、石室及び周辺の埋土からは須恵器・甕・高杯等の破片が出土し、他に縛の一部と思われる鉄器片が検出されました。
この古墳は古墳時代後期後半の6世紀から末に築造されたもので、太郎塚・鷹塚・等の円墳群に所属する一連の群集墳のひとつと考えられます。別府市教育委員会 (以上現地説明板より)
石棺(せっかん) (現地説明板より)これは石棺の蓋で、大きな石を屋根型にし、内側をくり抜いています。身(死者を入れる箱)が発見されていませんが、この蓋石から想像して、大きな石をくり抜いた長方形の箱とみられます。これは古墳時代の最盛期に見られる石棺ですから、これが太郎塚・次郎塚から発見されたものとすれば、この塚も同時代(約1500年前)のものと考えられます。(別府市教育委員会)
実相寺天神畑古墳(じっそうじてんじばたこふん) (現地説明板より)この古墳は、ここから100メートル程東にある畑地で発掘され移築・復元したものです。古墳の主体部は巨石を組み合わせた横穴式石室で、方形の床面プランを有する玄室と前室あるいは羨道から構成され周溝等の外部施設は既に削りとられ消失していました。