瀧廉太郎像 荒城の月の作曲で有名な瀧廉太郎の終焉の地(遊歩公園内)に瀧廉太郎像が設置されています。 瀧廉太郎像 瀧廉太郎像は、竹田高等小学校の3年後輩だった朝倉文夫の作です。 瀧廉太郎は、ドイツ留学中に結核を患い帰国、父母の待つ大分で療養していましたが、1903年(明治36年)6月29日に、23歳の若さで亡くなりました。 瀧廉太郎は、荒城の月の他、箱根八里、春の海、花、納涼、月、雪、お正月、鳩ぽっぽ、桃太郎、鯉幟、雪やこんこなどの作曲をしました。ピアノ曲「憾」が最後の作品です。 史蹟 瀧廉太郎 終焉之地 大分一覧 大分 別府・日出 国東 豊後高田 杵築 宇佐・中津 臼杵・佐伯 日田・玖珠 竹田・大野