飫肥城・桝形・銃眼
飫肥城は東西約750メートル、南北約500メートルの城域に大小13の曲輪と犬馬場などからなる広大な城です。
史蹟 飫肥城
日南市 市指定文化財 平成3年8月1日指定
飫肥城は東西約750メートル、南北約500メートルの城域に大小13の曲輪と犬馬場などからなる広大な城です。各曲輪はシラス大地を空堀で区切った壮大な規模を誇ります。城内の各曲輪は本丸、松尾の丸、中ノ城、今城、西ノ丸、北ノ丸などの名称で呼ばれていました。
桝形
枡形とは門をL字型にし、内と外の二段構えの仕組みになっています。
空堀
空堀も苔むして緑に覆われています。100年以上もの長い間、伊東氏と島津氏が争い続けた飫肥城もいまは静かにその歴史を伝えています。飫肥城は、重要伝統文化財群保存地区内であるとともに、日南市指定文化財でもあります。
飫肥城城壁の銃眼
銃眼とは、銃火の中、標的に向かって射撃したり、また見張りの為、防壁に設けた穴のことです。
銃眼
この穴から敵を銃撃します。
銃眼
銃眼
銃眼
壁に沢山の銃眼が設けられています。
こちらの壁にも沢山の銃眼が設けられています。
銃眼
鐘楼
飫肥城の鐘はその昔享保18年、旧藩主伊藤祐永公の代より二百余年に亘り軍用又は民間時報の使命を果たし、その情緒は住民に深く馴染まれてきた。然るに昭和18年6月大東亜戦争のため供出に遭い、爾来昭和36年飫肥区長会において復活期成会を結成し、市民の協賛を得て、昭和40年7月之を復活せり
飫肥城の鐘復活期成会(現地案内板より)
角に鐘楼が見えます。
こちらの壁にも銃眼が設けられています。