飫肥武家屋敷通り
飫肥伝統的建造物群保存地区は、電線や電柱がない他、標識も景観を壊さないように工夫されています。
九州の小京都、日南の小京都と呼ばれる飫肥は、文明16年(1484年)の戦いの後、豊州島津家の全盛期を挟んで、伊東家と島津家の間で飫肥の覇権をめぐって激しい合戦が繰り広げられました。戦いが絶えなかった飫肥ですが、今は静かに歴史と伝統を伝えています。
昭和52年(1977年)5月18日に、重要伝統的建造物群保存地区に選定された範囲は、横馬場通り、前鶴通りを中心に約19.8ヘクタールあります。飫肥城の城下町は、飫肥城の南に、三方を酒谷川に囲まれた東西850メートル、南北900メートルの範囲で、南北三街路、東西七街路で方形に区画されています。飫肥城近くから上級家臣、中級家臣、町屋、下級家臣の屋敷地となっています。上級家臣の屋敷地の広さは2,000坪位あり、下級家臣の屋敷地でも260坪位まであります。
飫肥通行手形
料金:大人600円、高校生・大学生450円・小中学生350円
下記の六ヶ所の共通入館券です。
飫肥城松尾の丸・豫章館と庭園・小村記念館・旧山本猪平家・商家資料館
※共通手形は、上記の施設で購入できます。
各々の施設には貴重な資料や文化財が保存・展示されています。城下町飫肥をゆっくり散策し、歴史に触れるのもいいですね。
飫肥城大手門の手前の道を左手に曲がると、石垣、白壁、格子、瓦屋根、生垣が続く武家屋敷通りがあります。昭和52年に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。この馬場通りは、飫肥藩士屋敷の典型的な姿を色濃く留めています。傾斜地のため屋敷囲いに石垣をめぐらしていた結果、原型があまり崩れないまま保存されています。屋敷規模も広く一戸の平均が約900坪もあります。
伊東家五万一千石の城下町として繁栄した歴史を偲ばせる優雅で上品な佇まいが続きます。電線を地下に埋めているため、電柱や電線がないので江戸時代にタイムとリップしたかのような景色です。電線や電柱がないとほんとうにすっきりとした街並みです。
こちらの様に、切り石を積んだ石垣や自然石を積んだ石垣など、様々な石の積み方の石垣が並んでいます。
鯉のぼり
飫肥城大手門前
大手門に向かってずっと高い塀が続いています。
武家屋敷通りの飫肥石の切り石や玉石積みの石垣の上から綺麗な花がこぼれるように咲いていました。
ニオイバンマツリ
この白と紫の花は、ニオイバンマツリ(匂い蕃茉莉)という花で、夕方から夜にかけてジャスミンに似た大変強い香りがします。咲き始めは紫で、段々と薄紫になり、日が経つに連れ白くなっていく花です。
白と紫の花と緑の葉のコントラストが美しいです。
白と紫の花が塀の瓦とマッチしています。
ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)が咲いていました。
ツツジが咲いていました。
オレンジと白の可愛い花が咲いていました。
印判の皿
印判とは明治時代に、擦絵や銅版転写によって絵付けされた焼物のことで、量産のために開発された技術です。
日南市飫肥伝統的建造物群保存地区にあった標識
田ノ上八幡神社
所在地:宮崎県日南市飫肥10-3-12
飫肥城の鬼門に位置しています。
御祭神:彦火火出見命・神功皇后・応神天皇等の16柱
神社の境内には、飫肥初代藩主・伊藤祐兵が手植したと言われる、樹齢400年の楠の巨木があります。幹の周りが920センチ、樹高30メートルの楠で、日南市指定の天然記念物に指定されています。
弥五郎人形行事
田ノ上八幡神社は、弥五郎人形行事でも有名です。弥五郎様または弥五郎どんと呼ばれる6メートルほどある巨大な人形を作り、祭礼行列の先導役として弥五郎人形を曳き出す行事です。昔、稲積弥五郎という巨人がいて、この地に八幡様の御神体を背負ってきたという伝説に起因しているそうです。
私はテレビのニュースでしか弥五郎どんを観たことがないのですが、赤ら顔に髭をはやし、怖いとも面白いとも思える表情で、とにかく大きいのに吃驚しました。実際に弥五郎どんをみたら、もっと迫力があるのでしょうね。なんでも鹿児島県大隈町の弥五郎どんが長男で、宮崎県山之口町の弥五郎どんが次男で、飫肥の弥五郎どんが三男の末っ子だそうです。なんだかとっても面白いです。
武家屋敷通りを散歩するにゃんこさん
綺麗なにゃんこさんものんびりと散歩をしていました。飫肥の城下町に似合ったなんだか品格のあるにゃんこさんです。赤い首輪とかわいい鈴がついていましたので、ここら辺の飼い猫さんなのでしょう。
にゃんこさん警戒中
かなり警戒中
にゃんこさん、下へ降りるか思案中
お留守番するにゃんこさん