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飫肥城

日南の小京都と呼ばれる飫肥にある、飫肥城

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所在地:宮崎県日南市飫肥10丁目
飫肥城開館時間:9:30~16:30
休館日:12/29・12/30・12/31
飫肥城の入館は、飫肥通行手形で入館できます。
飫肥城は、重要伝統文化財群保存地区内であるとともに、日南市指定文化財でもあります。飫肥城松尾の丸などへの入館は飫肥通行手形を利用できます。

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飫肥城の大手門は、明治時代初めに取り壊されましたが、昭和53年(1978年)6月に樹齢100年の飫肥杉を使用し、復元されました。木造渡櫓二階建て、本瓦葺の重厚な造りの江戸時代の櫓門です。高さ2.3メートル・樹齢百年の飫肥杉四本を使用しています。復元に関しては、当時の城郭研究の第一人者であった故藤岡通夫博士に設計・慣習を依頼し、国内に現存する大手門を参考に在来工法で行われました。

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大手門の内側に古い人力車がありました。

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飫肥城は古くは「飫肥院」の跡とも云われているが、何時頃創建されたかは明らかでない。長禄2年(1458年)島津の族将「新納忠続」を志布志城から飫肥城に移し、伊東方の押へにしているのでそれ以前の築城と考えられている。文明16年(1484年)伊東祐国(六代佐土原城主)が飫肥城攻防初戦をはじめてから、天正十五年(1587年)伊東祐兵(十九代飫肥藩初代)が豊臣秀吉の九州征伐の功により朱印によって飫肥城に入場するまで約100年の我国における最長攻防戦が行なわれたのである。以来、約300年伊東藩の居城であった。
昭和58年7月 日南市 日南市観光協会(現地案内板より)

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飫肥は文明16年(1484年)の戦いの後、豊州島津家の全盛期をはさんで、伊東家と島津家の間で飫肥の覇権をめぐって激しい合戦が繰り広げられました。

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この大手門は、周辺の石垣行遺構や主柱の根石などを検証した昭和五十三年に復元されたものである。木造渡櫓二階建、屋根までの高さ12メートル、一階は21.6平方メートル、二階は44平方メートルで門の幅は一階7メートルである。柱や梁には樹齢百年以上の飫肥杉を使用し、釘は使わない「組式」である。屋根は入母屋風で「庵木瓜」鬼瓦と「月星九曜門」の軒瓦はいずれも「伊東家家紋」である。
昭和五十八年7月 日南市・日南市観光協会(現地案内板より)

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大手門の屋根

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大手門の瓦

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飫肥城大手門の鯱

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大手門の鬼瓦と軒瓦

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軒瓦

軒瓦には、十曜紋が入っています。

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礎石

大きな飫肥石の礎石で、「追手御門臺石垣並御門修復」などの文字が刻まれています。
昭和53年の大手門復元工事中に偶然発見され、現在大手門内側に展示しています。
この礎石の碑文から、以前の大手門は正徳3年(1713年)に建設されことが、読み取れます。また、この普請に携わった主たる者が刻まれていますが、その中にある穴太頭という役職は石積の責任者のことです。

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飫肥石

飫肥城の石垣には、飫肥石が使われています。飫肥石は、約2万8千年前の姶良火山大噴火による火砕流が厚く堆積し、圧縮され固まった「溶結凝灰岩」です。特にその深い部分から取り出された飫肥石は、硬くて加工しやすくしかも丈夫で重宝されました。飫肥城の近くには豊富な採石場があり、石工の技術も高く、伏見城をはじめ江戸城・丹波亀山城・名古屋城・大阪城などの築城にも携わっています。

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