高千穂神社
天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、高千穂八十八社の総社でもあります。
高千穂神社・高千穂宮
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037
御祭神:主祭神は一之御殿の高千穂皇神・二之御殿の十社大明神
国営の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神様として広く信仰されています。
例祭日:4月16日
猪懸祭:旧暦12月3日
大きな鳥居の前は、広い駐車場になっています。この鳥居をくぐり、参道を進むと石段があり、石段を上ると正面に本殿があります。
本殿前石段
高千穂神社は、垂仁天皇時代に創建したと伝えられ、平安時代には高千穂八十八社の総社となり、とくに農産業・厄祓・縁結びの神として広く信仰を集めています。
本殿
本殿は国の重要文化財に指定されていて、九州南部を代表する大規模な五間社本殿建築で地方色も顕著に有しています。境内には伝源頼朝奉納の鋳鉄製の狛犬や、町指定天然記念物の秩父杉、夫婦杉などもあります。
高千穂宮御由緒
当宮は初め高智保皇神と申しあげて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊瓊杵尊、木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明、清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されております。神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ古くより高千穂郷八十八社の総社として崇められてきました。
源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は800年を経た今も社頭高くそびえています。文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。天正年間三田井氏が滅んで延岡領となりましたが、歴代藩主はそれぞれ社頭を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
大正14年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり昭和46年7月1日別表神社に列せられました。天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国営の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。(現地案内板より)
高千穂宮 本殿
国指定重要文化財
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037
安永7年(1778年)に延岡藩主内藤政脩を大檀那として造替。本殿は梁間2間の五間社流造銅板葺で、棟に千木・鰹木を置き、東側の脇障子には、鬼八を退治する三毛入野命の神像といった当地の伝説や祭礼に関する彫物を施しています。西側脇障子の部分には稲荷社を設けています。これらの独特の形式を持つ九州南部の代表的な大規模社殿です。(現地案内板より)
高千穂神社の注連縄
高千穂では、注連縄のことを「七五三縄」とも書きます。高千穂の七五三縄は、向かって右から7本、5本、3本の標(藁茎)が下がっています。これは高千穂の神楽の祭場や舞いの由来を述べる唱教に由来し、「七は天神七代、五は地神五代、三は御祖の神(日向三代)」を表しています。標一本が一柱の神を意味しているそうです。
高千穂宮の彫刻
高千穂神社の東側(本殿に向かって右側)の脇障子には、鬼八を退治する三毛入野命の神像が彫刻されています。この彫像は、高千穂宮の御祭神・三毛入野命が霜宮鬼八荒神を退治なされたものと伝えられています。
荒振神どもを平げ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命は厄祓や産業の神としても深い信仰があり、鬼八退治にちなんだ猪懸祭は12月3日に行われ神道祭祀の原型をとどめた古事として有名です。
三毛入野命と鬼八
本殿横回廊の東側の脇障子に施された、ミケヌノミコトと鬼八の彫刻です。伝説では、三毛入野命は鬼八の体を頭と胴と手足の三つに切り離し、別々に埋め、二度と蘇ることができなようにしたそうです。二上山の乳ヶ岩屋に住む暴れ鬼だった鬼八も、哀れな姿です。
ミケヌノミコトと鬼八
凄い形相で、鬼八の足を捕まえて踏んづけいている三毛入野命は、迫力満点です。
三毛入野命は、ミケヌノミコトともミケイリノミコトとも呼ばれています。