森重堅庭園
知覧武家屋敷唯一の池泉式庭園です。
作庭:寛保年間(1741年~1743年)
面積:本庭198平方メートル、池泉25平方メートル
様式:築山泉水式庭園
母屋が寛保元年(1741年)に建てられ、庭園はその後整えられました。知覧武家屋敷唯一の池泉式庭園です。
森重堅邸の門
知覧独特の門松と注連縄が飾られていました。
曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島を表し、対岸には、洞窟を表現した穴石を用いて水の流動を象徴しています。奥行きがある池には鯉が泳いでいました。庭園入口の右側にある石は、庭園の要をなし、雲の上の遠山を表しています。
森重堅庭園は、庭園の裏から水が湧き出し、どんな干ばつの年でも枯れたことがないと伝えられています。
森家は、亀甲城の西麓にあり、領主に重臣として仕えた家柄です。住居や土蔵は寛保初年(1741年)に建てられたものです。森重堅邸は、19世紀初期建立と考えられる武家住宅です。腕木門は棟が高く軒が深い構造です。
森重堅邸の土蔵
森重堅氏住宅オモテ附蔵
森邸の住居や土蔵は、寛保初年(1741年)に建てられたものです。蔵は白壁の切妻造2階建で、当時の武家の生活を証する重要な遺産です。この土蔵は、鹿児島県指定建造物です。
「落書きの壁ではありません!!ゴッツイ罰則あり」と書かれた立て札がありました。このような重要文化財に落書きをする、愚かな人がいるのは悲しいことです。
土蔵の壁の染みがハートに見えます。