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霧島神宮展望台

霧島神宮の展望台からは、桜島や霧島連山がみえます。

霧島神宮1

当日は生憎の曇天のち雨の為、みえませんでしたが、お天気がいい日は、桜島や霧島連山がみえます。坂本龍馬とおりょうさんもここから霧島の景色を眺めたのでしょう。

霧島神宮2

霧島神宮展望台

霧島連山、吾平山稜(あいら町)、桜島、神子島、高尾山稜(みぞべ町)、可愛山稜(せんだい市)、開聞岳、近郊湾、指宿などがみえます。(現地案内板より)

霧島神宮3

参詣者休憩所

霧島神宮の参拝者休憩所は、駐車場から社務所へと向かう道の途中にあります。休憩所では霧島神宮の神事のビデオを大画面で紹介していました。年間を通して行われる神事や祭事を一度に観ることができます。売店も併設しています。売店では、かるかんなどの鹿児島銘菓から、霧島神宮ぜんざいなどの軽食も販売していました。

霧島神宮4

神聖降臨之詩碑

この詩は、昭和27年「卒寿」を迎えた蘇峰の詠詩揮毫で、国体の精筆が詠みあげられています。この詩碑は、昭和27年8月22日、照国海運社長 中川喜次郎兄弟、並びにその厳父より同社の建造船タンカー「霧島丸」の進水を記念して奉納されました。
  神聖降臨之地
  乾坤定位時
  煌々至霊気
  萬世護皇基
徳富蘇峰の五言絶句が刻まれています。(碑文より)
≪皇室を中心とする国、日本と徳富蘇峰≫
明治、大正、昭和にかけての思想家 徳富蘇峰は其の思想の中で根幹をなす「皇室中心主義」について「漸く行き着いた安心立命の処」と言い「此を宣揚して死んだら私の生存したる甲斐もある」と感得しえた思想の境地を 語ったと云われています。この詩は昭和27年「卒寿」を迎えた蘇峰の詠詩揮毫で、国体の精華が詠みあげられています。詩碑は、昭和27年8月22日、照国開運社長中川喜次郎兄弟、並びにその厳父より同社の建造船タンカー「霧島丸」の進水を記念して奉納されました。
霧島神宮(霧島神宮参拝の栞より)

霧島神宮5

霧島神宮には、新婚旅行中の坂本龍馬とお龍さんが訪れたそうです。坂本龍馬とお龍さんは、88日間も新婚旅行をされたのですね。いいな~。
坂本竜馬・おりょう新婚旅行記念として、こんなに可愛い看板(?)がありました。
≪坂本竜馬・おりょう新婚旅行記念≫
 今からちょうど百三十年前、慶応2年(1866年)日本の歴史の大転換期に坂本龍馬と妻おりょうは、薩摩(鹿児島)に訪れています。京都伏見の寺田屋事件(1866年1月23日未明)で幕史に襲われ九死に一生を得た龍馬は、妻おりょうとともに霧島の山深く入り、温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯にある「天の逆鉾(さかほこ)」を見ようと、妻おりょうと高千穂登山をしています。姉乙女への手紙によりますと、「天の逆鉾」を見て、天狗の面に似ていると二人で微笑んだと記されています。下山途中は、一面にみやまきりしまが咲きほころび美しい情景であったそうです。
また、その足で霧島神宮をお参りし、大きな杉の木もあるが御神殿の建物にも奥深いものがあると感じながらここに一泊し、そこから霧島の温泉に戻り、4月12日鹿児島へ帰っているようです。坂本龍馬が鹿児島へ訪れた行程は八十八日間と示され、現在の新婚旅行とも言われています。このことは龍馬が姉の乙女宛へ送ったと言われる手紙から抜粋し要約したものです。
参考文献(京都国立博物館蔵より) 1996年12月 霧島町(現地案内板より)



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