水道橋周辺
水道橋周辺には、発電用ダム跡や曲水の庭などがあります。
水道橋周辺
仙巌園の発電用ダム跡
仙巌園の奥の方にある「発電用ダム跡」です。
発電用ダム跡
29代島津忠義が建造した工場、「就成所」の送電発電用の貯水槽跡です。これは、落差を利用して水車を回転させ、電力を得るというしくみで、明治25年(1892年)からはこの電力を使って邸内や庭のアーク灯に灯りを点し、就成所から邸内へ通じる自家用電話にも利用していました。
なお、「集成館」でもすでに、水力発電が実現しており、庭園背後の山の尾根伝いに導水路が残っています。鹿児島市内の電灯の始まりは明治30年(1897年)、電話は明治39年(1906年)のことでありましたが、島津家はその先駆をなしたといえます。(現地案内板より)
仙巌園の発電用ダム跡
仙巌園の発電用ダム跡
水道橋周辺
NHK大河ドラマ「篤姫」のロケが行われたそうです。水道橋のたもとには茶店もつくられ、城下風景が撮影されました。若き日の篤姫(於一)や小松帯刀(肝付尚五郎)、西郷隆盛、大久保利通などの芝居が繰り広げられました。
曲水の庭周辺
曲水の庭に至る石段や、江南竹林の前にて、「篤姫」のロケでは、若き日の小松帯刀(肝付尚五郎)の鹿児島城下でのシーンが撮影されました。放水して雨を降らせたり、スモークを焚いたりして、雨の城下風景シーンなども撮影されました。(現地案内板より)
国指定名勝 仙巌園
仙巌園は、万治元年(1658年)、19代島津光久(しまづみつひさ)が別邸として築いたもので、その景観が中国(江西省)竜虎山(りゅうこざん)山麓の仙巌に似ていることから名付けられました。また寛文12年(1672年)、邸内に一亭を構えたところ、落成の日に鶴が舞い降りたので「喜鶴亭(きかくてい)」とも呼ばれるようになりました。
照葉樹林に覆われた磯山を背に、金江湾や桜島を庭の景観に取り入れた借景の偉大さは、二本一であるといわれています。また、自然の美しさを最大限に生かした日本庭園を基本としながらも、園内には、琉球王国から贈られた「望嶽楼(ぼくがくろう)」をはじめ、「江南竹林(こうなんちくりん)」「曲水の庭(きょくすいのにわ)」「千尋巌(せんじんがん)」など、中国・琉球文化の影響が至る所に見られることも特色のひとつです。特に曲水の庭は、作庭当時の姿をほぼそのまま今日に伝え、また我が国最大級のものです。(現地案内板より)
曲水の庭
元禄15年(1702年)、21代島津吉貴の御数寄屋ひらきと相前後して築造されたと推定されるこの曲水の庭は、昭和34年(1959年)に発掘されたものです。曲水の庭は古代中国で発達した庭園で、我が国でも宮中時代より曲水の宴が盛んに催されました。曲水の宴とは、曲がりくねった流れに沿って所々に席を作り、上流から流した酒盃が前を流れ過ぎないうちに詩歌を作り、盃を取り上げて酒を飲むという宴です。現在では、当園の曲水の庭だけが原型を残す唯一の庭になっています。
★平成20年NHK大河ドラマ「篤姫」のロケの際は、曲水の庭に至る石段や、江南竹林の前では若き日の小松帯刀(肝付尚五郎)の鹿児島城下でのシーンが撮影されました。放水して雨を降らせたり、スモークを焚いたりして雨の城下風景シーンなども撮影されました。(現地案内板より)