九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

150ポンド砲

幕末、薩摩藩主島津斉彬が反射炉で鋳造しようとした鉄製150ポンド砲の模型です。

150ポンド砲1

所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1仙巌園内
仙巌園の受付から入ってすぐ左手に鉄製150ポンド砲の複製があり、そのすぐ後ろに反射炉跡があります。

150ポンド砲2

主要諸元

砲身全長:4,560mm
砲身全幅:740mm *砲耳、照準部を除く
砲身素材:鋳鉄
砲身重量:8.3屯
砲架全長:7,655mm
砲架全幅:1,935mm
砲架素材:イチイガシ、ケヤキ
想定砲弾:球弾、150ポンド
最大射程距離:約3,000
*砲撃効果を期待できる有効射程距離は約1,000mといわれる。
鋳込:平成18年3月9日  竣工:平成18年6月2日
施主:株式会社島津工業・島津修久・島津公保
監修:尚古集成館・田村省三・松尾千歳
設計:有限会社オフィスフィールドノート
棟梁:砂田光紀
(現地案内板より)

150ポンド砲3

百五十ポンド鉄製砲は後方に見える反射炉で鋳造されたと伝える最も大きな大砲です。巨大な砲身を支える砲架は木製で、最前部を軸にして回転でき、大砲の向きを変える「砲架下部」と、発射時の衝撃を和らげるために砲架下部の上を滑る構造の「砲架上部」で構成されています。反射炉や鉄製砲は、幕末薩摩を舞台に島津斉彬らが挑戦した、近代化への情熱を象徴しています。幕末、薩摩藩主島津斉彬が反射炉で鋳造しようとした鉄製150ポンド砲の模型です。(現地案内板より)

150ポンド砲4

1840年代、薩摩藩は、日本の他地域よりも早く、通商を求める西欧列強の外圧にさらされました。その軍事力、特に大砲を多数装備し、海上を自由に動き回る蒸気軍艦の存在に脅威を抱いた薩摩藩は、海岸要衝に砲台(台場)を建設し、大型の台場砲を配備するようになりました。
当初、台場砲は、日本の在来技術で鋳造可能な青銅で造られていましたが、嘉永4年(1851年)薩摩藩主に就任した斉彬は、西欧指揮の溶鉱炉・反射炉を導入して鉄製砲を鋳造するようになりました。斉彬の側近、市来四郎は安政4年(1857年)、鉄製150ポンド砲の鋳造に成功したと書き残しています。150ポンド砲は当時の最大砲で、重量150ポンド(約70きろ)の弾丸を焼く3,000メートル飛ばすことができました。
翌安政5年に鹿児島を訪れたオランダ海軍将校カッティンディーケは、「砲台でみた150ポンドのパイアン砲(青銅砲)はきれいに鋳上げられたいたが、工場(集成館)で見た鉄製砲はあまりよい出来ではなかった」と書き残しています。また、文久3年(1863年)の薩英戦争では2門の150ポンド砲が使用され威力を発揮しました。(現地案内板より)

150ポンド砲5

150ポンド砲の構造

【上部砲架移動用ハンドル】車輪のように見えているのは実は砲架上部を動かすためのハンドルです。中心の輪軸(ハブ)が砲架下部の上を転がり滑る構造です。
【上部砲架輪軸】上部砲架を動かすためのハンドルを支えるシャフトです。左右のハブとハンドルはピンで固定されています。
【火門】砲腔に至る細い穴、発射時には火薬を満たし、火縄で点火。
【照準】砲口に照準器がなく、象限儀(迎角を計るための角度計)などを当てた簡易照準器と考えられます。
【仰角調整螺旋】ネジを回転させることで砲尾部が上下し、発射角を変えることができます。
【砲架下部】水平方向の照準を定めるために前方の旋回軸を中心に後方の車輪で旋回する構造です。上を砲架上部が滑ります。
【砲架旋回車輪】砲架全体を旋回させるための横向きの車輪です。
【砲口】砲弾が球形の時代には重さで大砲の規模を表現しました。150ポンドは約68kgで、鉄製なら直径約27cmという大きな砲弾です。
【砲架上部】砲身を支えると同時に砲尾部では上下方向の反射角度を調整します。砲架下部の先端位置で発射すると反動で砲架上部全体が後方へ滑ります。
【砲架旋回軸台】ここを軸に大砲全体を回転させることで水平方向の照準を定めます。
(現地案内板より)

150ポンド砲6

150ポンド砲8

反射炉跡

反射炉は鉄製砲を鋳造するたもの溶解炉です。薩摩藩主島津斉彬は、オランダ陸軍少将ヒュゲニンが著した「ルイク王立鋳砲所における鋳造法」を参考に、嘉永5年(1852年)反射炉(1号炉)の建設に着手しました。
この1号炉は、炉が傾き、耐火レンガが崩れ落ちるなどして失敗したため、2号炉を建設させました。2号炉は安政4年(1857年)完成し、鉄製砲の鋳造に成功しました。この石垣は2号炉のもので、1号炉の失敗を教訓に頑丈に造られています。また石垣に開けられた穴は湿気を取り除くためのものです。
石垣1.5メートルほど埋没しており、本来の高さは4メートルを越え、この上に高さ15~20メートルほどの炉がそびえていました。また、石垣の上部には2号炉の基礎部分がきれいに残っています。なお1号炉は、2号炉の奥、反射炉跡の石碑が建っている辺りにあったと推定されています。(現地案内板より))

150ポンド砲7

石垣に開けられた穴は湿気を取り除くためのものです。



南九州一覧

  鹿児島  宮崎  沖縄