仙巌園の正門
明治28年(1895年)に鹿児島の名工といわれた大重伊三次に建てさせた正門です。
所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
明治28年(1895年)に完成した正門です。木材は全て鹿児島県の県木クスノキを使用しています。門の上部には島津家の家紋「丸十紋」と「桐紋」が彫られています。瓦にも丸十紋が彫られています。
仙巌園の正門
国道10号線に面して建っています。明治4年(1871年)に廃藩置県が行われ、翌年、薩摩藩最後の藩主29代島津忠義夫人達は、鶴丸城から磯に居住を移しました。明治21年には、忠義本人も鹿児島に移り、その後、明治28年(1895年)に鹿児島の大工・大重伊三治に命じて建てさせたのがこの正門です。
用材は裏山の樟を使い、島津家の家紋である丸十と五七の桐が掘り込まれています。現存する、本門は昭和58年~59年(1983年~1984年)に解体修理を行ったものです。
丸十紋
島津氏の家紋「丸に十の字」です。
この十の字は何を表しているのかということは諸説あります。
(1)「十字を切る」という形の呪符からきたとする説。
(2)二本の箸を交叉して出陣戦勝の呪いにしたのが始まりという説。
(3)キリスト教の印とする説。
(4)二匹の龍を組合せたもの。龍がからみあって昇天する様を表すという説。
(5)轡紋から転じたとする説。
※(1)の説が有力とされています。
五七の桐紋
桐を使った紋の種類は色々ありますが、花の数を単位とした五三の桐、五七の桐などが有名です。五七の桐は、3本ある茎の真ん中の茎に7つの花があり、両脇の茎にはそれぞれ5つの花があることからそう呼ばれます。五七の桐の紋は、菊の御紋に次ぐ高貴な紋章とされていました。足利尊氏や豊臣秀吉なども五七の桐を天皇から賜っています。このため五七桐は、政権担当者の紋章という認識が定着することになりました。
園内にあるひときわ立派な門は、2008年のNHK大河ドラマ「篤姫」のロケでも使われた仙巌園の正門です。ドラマでは薩摩藩江戸屋敷の門となっていましたが、実際には明治28年(1895年)に鹿児島の名工といわれた大重伊三次に建てさせたものです。
仙巌園正門は、平成20年NHK大河ドラマ「篤姫」の撮影の際、薩摩藩邸江戸屋敷に見立てられ、ロケが行われました。
正門横の蔵
正門の両側には白壁の蔵があり、南(受付に近い方)から順に一番蔵、二番蔵、三番蔵と呼ばれています。
L字型フック
蔵の壁の軒下1メートル位の所に下を向いたL字型の鉄製フックが付いています。このフックは、台風などで屋根が飛ばないように布や縄を結びつけるための金具です。大事なものが入った蔵の瓦(あるいは屋根そのもの)が飛ばされて雨漏りすることがないように付けられているものです。